代表・松田崇弥・文登が語るヘラルボニーの誕生秘話。ポッドキャスト「聴く美術館 #1」

この春スタートした福祉実験ユニット・ヘラルボニーの契約アーティストにフォーカスするポッドキャスト「HERALBONY TONE FROM MUSEUM〜聴く美術館〜」。

俳優・映像作家・文筆家として活躍する小川紗良さんと、ヘラルボニーの代表取締役社長の松田崇弥(たかや)が聞き手となり、アートに耳を澄ませながら、作品の先に見えるひとりの”異彩作家”の人柄やこれまでの人生に触れていきます。

記念すべき第1回のテーマは、ヘラルボニーのヒストリー。崇弥自身が、副社長で双子の兄の文登(ふみと)とともに、ヘラルボニーが生まれるまでを語りました。

# 欠落ではなく個性

小川紗良さん(以下、小川):福祉実験ユニット ヘラルボニーの契約アーティストにフォーカスするポッドキャスト「TONE FROM MUSEUM〜聴く美術館〜」。こんにちは、小川紗良です。記念すべき第1回、始まりました!そして、私のパートナーをご紹介しましょう。

松田崇弥(以下、崇弥):初めまして。ヘラルボニーの代表しております、松田崇弥と申します。これからポッドキャストスタートということで、どうぞよろしくお願いします!

一同:よろしくお願いします。(拍手)

小川:ということで今日はもう1人、崇弥さんのお兄様、文登さんにもお越しいただきました。文登さんは副社長ということで。

松田文登(以下、文登):よろしくお願いいたします!岩手から参りました、ヘラルボニーの副代表をしてます、松田文登と申します。どうぞよろしくお願いいたします!

崇弥:文登は岩手に住んでいて、今日は新幹線に乗ってきました。

小川:そうなんですね!よろしくお願いします。お2人は双子なんですよね?っていうか、もう見たらわかる話ではありますが(笑)。

崇弥:そうなんです。なんか最近は「顔より声の方が似てる」って言われたりもして。ラジオで大丈夫かなって(笑)。

文登:そうそう!

崇弥:まあね、全部どっちが喋っても同じかなと思うので、ニコイチでいいかなと(笑)。

小川:息がぴったりで、私も心強いです!今日はまず「ヘラルボニーとは?」というところから、お話を伺っていきたいと思います。ヘラルボニーさん、まずはどんな会社なのか具体的にご紹介いただけますか。

崇弥:では私から。日本全国にアートに特化した福祉施設っていうものが非常に多くあるんですね。

小川:はい。

崇弥:ヘラルボニーはそこのアーティストの方々とライセンス契約を結ばせていただいていて。そのアートのデータを軸に、様々なモノであったりコトであったり場所に落とし込んでいます。目的としては「障害」ってしゃべったときに「欠落」を連想するのではなくて「違い」とか「個性」に、新たな選択肢や可能性を増やしていける、そういう思想っていうものを拡張していく会社だと思っています。

小川:なるほど。障害のある方の作品をデータとして、幅広い作品とグッズになっていると思うんですけど、本当にどれも素敵で。ホームページも見させていただいて、もうすごいわくわくしちゃったんですよね。

崇弥:本当に嬉しいです。やっぱり店舗でも、別に私たちって「障害」とか「福祉」とかってドーンと書くわけではないので、やっぱ(コラボした)ホテルに行っても、別にそういったキャプションがあるわけでもなく。純粋に美しいと感じられる中で、気づいたら「知的に障害のある人たちが描いてるんだな」と広がっていくことによって、何かイメージを変えていくようなことにチャレンジしたいなと思って、文登とね、双子で始めました。

文登:うん。

# ウチの兄貴の自由帳

小川:そもそも、この会社でこの取り組みをしようと思ったきっかけってどこにあったんですか?

崇弥:きっかけはですね、私たち双子には4歳上の兄貴がいて翔太っていうんです。兄貴が重度の知的障害を伴う自閉症だったということもあって、生まれながらに障害は身近でした。兄貴はね、面白い動きや行動をするんですよ。たとえば最近なんかだと、「お相撲さんの佐ノ山」がすごい好きみたいで。

小川:へえ!

崇弥:なんかね、「おすもうさんの、さのやま!」って響きが好きみたい。

文登:耳心地とかね。あとは、今日は僕は新幹線でここまで来たんですが、新幹線見ると「しーんかんせーん!」って家族で言わなきゃいけなかったり。

小川:みんなで言うんですか?

文登:そうそう。でも崇弥は言ってないよね?

崇弥:俺も言ってるわ(笑)! 兄貴にはそういういろんな面白い部分があって、でもやっぱり、電車で大きな声をあげてると、人が引いてっちゃったりとか、(学校の)クラスでも、それをすごく真似されてたりとか、そういう状況をどんどん見ている中で、やっぱり知的障害ってもののイメージを変えることにもともと大きな興味がありました。

小川:この社名の「ヘラルボニー」というのも、お兄さんの翔太さんがきっかけだって聞いたんですけど、どういうことですか?

崇弥:ありがとうございます。「ヘラルボニー」という会社名は、うちの兄貴が小学校時代に日記帳や自由帳に何十冊も書いてた謎の言葉で。私もその20歳ぐらいのときに、それこそ本当に紗良さんと同じように、私も映像を頑張りたいと思った時期があって。何をテーマにして撮ろうかと、実家に帰って兄貴の痕跡みたいなのを探してたんですね。そしたら、たくさん自由帳や日記帳がばあっと出てきて。

文登:うん。

崇弥:兄貴は当時テレビ「ご覧のスポンサーの提供でお送りします」ってところにめちゃめちゃ固執してたんで。なので、日記帳や自由帳もロゴだらけで。面白いなと思って見てる中に、ロゴに紛れて「ヘラルボニー ヘラルボニー」と謎の言葉が2つ連なっていろんなところに出てくるっていうのを発見して。

小川:意味を翔太さんに聞いてみたことはあるんですか?

崇弥:兄貴は「わかんない!」って。母も知らないし、ネットで検索しても結果はゼロ件。なので、いつかこの言葉を何かにできたらなって思ってたんですよね。でも会社名を「ヘラルボニーにしようよ」って文登に言ったら「ダサいだろ!」って言われて(笑)。

文登:そんなに強く言ってないよ(笑)!

小川:そんなはじめは「ヘラルボニー」って言葉に首をかしげていた文登さんですが(笑)、実は文登さんが小学校4年生のときに書いた作文が今日ありまして。

文登:ありがとうございます。

小川:とても素敵な作文なので、ちょっと、朗読させていただいてもよろしいですか?

崇弥:お願いします。

-------

「障害者だって同じ人間なんだ」

第一小学校 松田文登

 ぼくのお兄ちゃんは前沢養ご学校に通っています。

障害といっても、手や足が悪いのではなく、自閉しょうという障害です。お兄ちゃんはかんたんな言葉しかわかりません。お兄ちゃんに学校のことを聞いても、そんなに言葉がかえってきません。とにかく自分の好きなことしか言いません。でも、お兄ちゃんともっと話をしたいから、たくさん話しかけるようにしています。

 お兄ちゃんにはこだわりがあります。車に乗るときは必ず助手せきに座ります。食事のときはせきが決まっているし、食べるものや順番まで決まっています。写真が好きでお兄ちゃんがいるときはぜったいに見せてくれません。もしせきをとったりしたら、皮がむけるほどつねられるので、ぼくもつねり返してケンカになります。そんな兄ちゃんだけど、すごいなあと思うことがあります。

 一つ目は手伝いです。ふろそうじはお兄ちゃんが一人でやっています。ぼくはめんどうなのによくがんばるなと思います。茶わん洗いは、お母さんといっしょにやっています。せんたく物ほしは、兄弟三人でやっています。

 二つ目は、毎日日記を書いています。ぼくから見ると、四行ぐらいしか書いていないけれどお兄ちゃんなりに頑張ってます。

お母さんがお兄ちゃんの日記を読むたびに

「はい、よくできたね。」とニコニコしながら言うと、お兄ちゃんは

「終わった。」

と言って、手をたたいてよろこびます。

 

 三つ目は、二、三キロの道のりを一人で駅まで歩いていき、電車で前沢養ご学校に通っています。去年の学習発表会で、お兄ちゃんのクラスのげきを見たときのことです。お兄ちゃんと二人がピアニカのえんそうをしていて、それがとってもうまくて、家ではぜんぜん練習をしていないのに、学校だけでできるなんてすごいなあと思いました。

 ぼくがいつもいやだなと思うことがあります。それは、デパートやレストランに行ったときに、お兄ちゃんのことをじろじろ見る人がいます。小さい子がお兄ちゃんのことを

「変な人だ。」

と言います。ぼくはその子に

「障害なんだからしょうがないでしょ」と言います。でもわかってもらえません。

 

お兄ちゃんが入ってる障害者の集まるゆうゆうの会で、プールに行ったときにも、ぼくと同じくらいの男の子がお兄ちゃん達のことを指さして笑っていたので、自分のことのようにはらが立ちました。

 こういうときにいつも思うことがあります。

「障害者だって同じ人間なのに。」

ということです。ぼく達と同じようにふつうに見てもらいたいです。

-------

小川:ということで。素晴らしい…。

(一同拍手)

崇弥:文登が書いたとは思えないぐらい素晴らしい。

文登:おい!

小川:まず、小学四年生の文章としてすごいしっかりしてませんか?

崇弥:いやいや、本当にそうですね。

文登:自分でもびっくりしましたね。

小川:文登さんが(この作文を)書かれて、きっと教室での反応もあったとは思うんですけど、お母様たちはこれ読まれたときにどんな気持ちだったのかなって。

文登:確かにどうだったんですかね?嬉しかったんじゃない?

崇弥:たしか岩手県の障害のある人たちの集まる団体の冊子とかにね、載ってたよね。

文登:そうだったっけ?覚えてないかも(笑)

小川:こうやってちゃんと大事にとっておいて、しかもこの思いが今の活動に繋がってるっていうのが素晴らしいですね。

文登:そうですね。確かに未だにいろんな思いがあるんですが、けれども障害のある方たちを「差別偏見するな」って声を大にして言うのではなくて、アートっていう美しいフィルターを通して、社会との出会いを作っていくことで、グラデーション的に変わっていったりだとか、それが美しい啓発機能の一つになっていったらいいなっていうのは、今も思いますね。

小川:今、お子さんを育てられるようになってからこそ思う、自分たちのご両親の子育てとかってどう思いますか?ご両親はご兄弟3人へどういうふうに接してこられたんですかね?

崇弥:挑戦はさせてもらってたかなとは思いますね。あとやっぱり、その障害に対して言うと、やっぱり母親は「隠すもんじゃない」っていう価値観が非常に強い人で。なので、小学校のころとか、当たり前のように友達とみんなで、うちの兄貴も入って遊んでいましたね。

ただ、中学校に入ると、その違いっていうものが馬鹿にされる環境になってきまして。例えばうちの中学校だと「スペ」って言葉がすごい流行ったんです。「自閉症スペクトラム」を省略してスペ。アホとか馬鹿とかと同じように、テストで悪い点数を取ると「お前スペじゃねえの」と言われるみたいな、そういうの。

その時に自分たち双子も、うちの兄貴が知的障害があるっていうのはすごく言いづらくなったっていうのはありました。でも母親はやはり「(障害は)隠すものじゃない」っていう価値観が強いので、運動会や部活にも兄貴を連れてくるんです。そうなると、やっぱり私たち双子は兄貴を見られたくないって思いが非常に強くって、運動会でもお昼に戻らないとかね、ありました。それで母親も怒って帰ったりとか。中学校のころはそんな難しさっていうものもあったなと思い出しますね。

# るんびにい美術館

崇弥:一番最初、ターゲットを地元の友人たちにしたいなっていうのをすごく思ったんですよね。岩手の人口1万人の町出身なんですけど、やっぱり地元の友人たちに「福祉」って言葉と「アート」って言葉を掛け算してバン!と届けても、やっぱ彼らにとっては福祉も正直関係ないし、正直アートも、岩手の中で私の周りアートを買うって人ほぼいないかなと。

崇弥:岩手の中でって思ったときに、やっぱり地元の友人は車だったらこのブランドに乗ってみたいとか、何だろう、百貨店だったらこんな百貨店行ってみたいとかって憧れっていうものがブランドというものにはすごくあるなっていうふうに思って、ブランドという傘の中に、福祉とアートっていうものを包含させることによって、地元の友人も「かっけーじゃん!」とかって言い始めるってことが、起きないのかなって思って、ブランドにしたっていうのは、すごい懐かしいなと思いますね。

小川:その地元の人たちを思い浮かべて、そこをターゲットに届けようという発想が素敵だなって思うんですけど、そのきっかけとして、24歳の時に、岩手県のるんびにい美術館を訪れたことがあると聞いてます。どんな出来事だったんですか?

文登:最初は崇弥だったんだよね。

崇弥:うん。東京で働いていたんですけれども、それで24歳の頃に、お盆の期間で(岩手に)帰ってるときに、母親が「岩手県の花巻市にるんびにい美術館っていう、障害のある人たちが描くアートを飾っている美術館があるから、崇弥よかったらいかない?」って言われて。それはすごい興味あるなっていうふうに思って。

文登:何で俺誘ってもらえなかったんだろう、今思うと(笑)。

崇弥:(笑)。たしか仕事して帰ってなかったんだよ。それでるんびにい美術館に行ったら、ボールペンでひたすら黒丸が連なってる作品とか、ブラシマーカーってもので描いた赤だったり青だったり色ひしめく作品とか、たくさんの作品がばーっと並んでて。めっちゃかっこいいなっていうことに強烈に感動して、それで双子の文登に電話をして、なんかすごい世界があるから何か、何かやってみよう、みたいなことを確か電話で話したっていうのが、ヘラルボニーの最初の始まりかなと思います。

崇弥:「障害者アート」って検索をかけると、今も結構そういう部分あるんですけど、市役所の一角で保育園児の絵の横に、障害者アート展があったりするんです。私が思ったのは、作家さん自身を変える必要は本当になくて、作家さんを教育だとか、そんなおこがましいことではなくて、本当に作品が素晴らしいから、その素晴らしい作品を、素晴らしい場所で展開できる、素晴らしい状態で世にアウトプットできるっていうすごくシンプルなことをやれれば、この資本主義経済の中でもちゃんと経済循環していくっていう仕組みができるんじゃないかなっていうのを思ったのは覚えてますね。

Michiyo Yaegashi「おりがみ」

小川:それこそ「アール・ブリュット」という言葉も、障害のある方のアートとして少しずつ出てきていると思うんですけど、そういうものに対しての何か想いとかってありますか?

文登:「アール・ブリュット」っていう言葉そのもの自体も、それこそ日本だと「和製アール・ブリュット」とかって言われますが、本当は海外だと「芸術的教養を一切受けていない人たちのアート」を総称して「アール・ブリュット」と言うんです。それが日本だと「障害のある方のアート=アール・ブリュット」という形にされてしまっているっていうことが、現状としてあったりするんですね。なので海外から見ると、日本の「アール・ブリュット」は価値観としてちょっと違うんじゃないか、というのはあったりするんですけども。

小川:へええ。

文登:なので僕としては、「アール・ブリュット」とか「アウトサイダー・アート」とか、いろんな障害のある方のアートの呼び名っていうものがあったりするんですけども、ただ、この呼び名っていうものをどうするかっていうところ以上に、本当に作品として、作家としての価値観であったりだとか、伝えたいことっていうものを本気でブレークスルーさせていくような、私たちのような民間企業だからこそできる形っていうものもあるんじゃないかなっていうことを思ったりするんです。その先に新たな概念みたいなものが生まれていったらいいなと。

小川:そんな思いを抱えて歯車が動き出したということで、この後の話はぜひ、次の回でじっくり伺っていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします!

text 赤坂智世/photo 鈴木穣蔵

ポッドキャスト『HERALBONY TONE FROM MUSEUM〜聴く美術館〜』無料配信中

「アートから想像する異彩作家のヒストリー」をコンセプトに、アートに耳を澄ませながら、作品の先に見えるひとりの”異彩作家”の人柄やこれまでの人生に触れる番組です。

役者・映像作家・文筆家として活躍する小川紗良さんと、ヘラルボニーの代表取締役社長の松田崇弥の2名がMCを担当。毎回、ひとりのヘラルボニー契約作家にフィーチャーし、知的障害のある作家とそのご家族や福祉施設の担当者をゲストにお迎えしています。

毎週日曜日にApple Podcast・ Google Podcast・Spotify・Amazon Musicで配信中です。

バックナンバーも無料でお楽しみいただけます。