何もできない「ポンコツさん」は国宝級に大切な存在だ。【岸田奈美インタビュー|後編】
ヘラルボニーを応援してくださっている方々に話を聞きにいく連載「HERALBONY&PEOPLE」。この連載では、普段からヘラルボニーの活動やビジネスに共鳴してくださっているあらゆるジャンルの皆さんにインタビューをしていきます。アート・ビジネス・デザイン・福祉・文化、さまざまな領域で「異彩」を放つ皆さんにとって「ヘラルボニーとはどのような存在なのか」を伺います。
第2回は、ダウン症の弟さんや車椅子生活のお母様との日々を綴った『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった(小学館)』の著者・岸田奈美(きしだ・なみ)さんが登場。
前編では、「世界ダウン症の日」をテーマにお話を伺ったところ、障害のあるなしに関わらずただただフラットに人と接することができるヘラルボニー代表・松田への絶対的信頼を得たという話が飛び出しました。
後編では、福祉施設の職員さんに必要なクリエイティビティについてや、障害のある人やその周りにいる人たちが私たちに教えてくれる人生のヒントなどを言語化いただきました。
前編はこちら>> 一番大事なのは、障害者の権利ではなくフラットな心だ。【岸田奈美インタビュー】
暴れている人は、「困った人」ではなく「困っている人」
ーー前編では、「世界ダウン症の日」や「世界自閉症啓発デー」は、ご家族や施設の職員さん、あるいはヘルパーさんなどのための日でもあるんじゃないか、というお話を伺いました。
岸田奈美さん(以下、岸田):前半でも触れましたが、自閉症といっても一括りにはできないんです。例えば、自閉症の人に時々見られる強度行動障害があると、自分のことをすごく傷つけちゃうことがあります。自分の身体を掻きむしったり、暴れたり、そういう行動を自分で止めることができない。自分の中のルーティンが何かによって阻まれると、強度行動障害が起きます。
実は弟の身近に、強度行動障害のある自閉症の人がいて、一緒に出かける機会もあるので私が強度行動障害の人をケアするための講習を受けることにしたんです。
4日間の講習で、実習の中では髪の毛を掴まれる場面もありましたが、そこで講師の先生が教えてくれた言葉で腑に落ちた言葉があって。それは、強度行動障害の方は「困った人」ではなく「困ってる人」であるということ。暴れたくて暴れているのではなく、自分がつらい、痛い、苦しい、悲しいと感じていることをうまく表現できず、伝達手段として「行動」を起こしているだけなんですね。
だから、「暴れないようにする」「自分や相手を傷つけないようにする」という対処法ではなく、何で困っているのか原因を見つけることが大事なんです。例えば、何か部屋の向こうに嫌なものが見えているのであれば、見えないようにカーテンを引くとか。水に触れていないと落ち着かないのであれば、水道をひねって水に触れてもらい、いつ水道を止めるのかを事前に絵で伝えるとか。
そういう対応を続けると1年くらいで、だんだん強度行動障害は治まります。講習でそれを学んだ時に「ヘルパーさんって、めちゃくちゃクリエイティブな仕事だな!」と感動しました。本当にものすごい想像力が必要な仕事です。粘り強く試行錯誤を続けるパワー、判断力、決断力、いろんな力が必要な並外れたクリエイターだな、と。
自閉症の人への対応力があれば、どんな問題も解決できる
ーー世の中のヘルパーさんのお仕事への解像度が上がり、クリエイティブな仕事だと認識できたら、今までとは少しだけ違う世界に出会えるかも知れないですね。
岸田:自閉症の人たちがすごいのは、とにかく感覚が鋭いので、私たちとはまったく違うものが見えてたりするところです。例えば、部屋の中に舞っている小さな埃にピントが合ってる人がいたりします。人の顔はほとんど見えていなくて、埃にだけ焦点が合い続けている。まるでスノードームの中にいるかのように、キラキラしたものに包まれていてすごく心地良いそうです。そういう時に人から話しかけられると、美しいスノードームの世界がシャボン玉のようにパチンと弾けてしまい、パニックになるわけです。
私たちには感知できないものすごく繊細な何かを感じ取っているので、そこを想像するのはめちゃくちゃ難しい。だけど、その世界が一瞬でも見えると、ものすごく愛おしくて。
こういう自閉症の人への対応力って、実は、職場でパワハラをしてくる上司とか、世の中で何かしら人間関係のトラブルを抱えている人に関しても同じことが言えるような気がします。問題行動をとる人の奥には、何かがある。それに気づいて対処する力は、自閉症の人を前にしても、パワハラ上司を前にしても基本同じです。
ーー相手がどういうふうに世界を見ているかには、ものすごい幅のグラデーションがあって、もっとも遠いところにあるのが自閉症的な世界、比較的近いところのあるのがパワハラ上司ということかもしれないですね。
岸田:そう。よく「人の立場で想像しなさい」と言いますが、無理なんです。そもそもそういう立場、そういう世界があること自体がわからないから、想像なんてできない。まずは自分が想像も及ばない世界があることを知る。その上で、どうするかを考えて試す。みんながそれを繰り返していけば、社会は少しずつ変わっていくかもしれません。
なので、「自閉症の日に、自閉症の人への理解を」と叫ぶよりは、その人たちを支援する仕事がどれだけクリエイティブであるかを知り、そのスキルがあれば世の中のたいていの人間関係の問題は解決できる可能性がある、ということをわかって欲しいな、と常々思っています。
人は「ありがとう」を言うばかりだと、生命力が枯れていく
岸田:自分が想像できない世界があることを知るという点に関しては、「ありがとう」の問題もあるなと感じています。
例えば、車椅子の人と一緒に働いて、「社員同士が優しくなりました」とか、「ドアを毎回開けてくれるようになりました」とか、そういうエピソードが披露されることってよくありますよね。でも、私はそれを聞くとちょっと心配になるんです。だって、ドアを開けてもらうたびに毎回、車椅子の人は「ありがとう」って言うわけですよね。それがきっと本人にとってはしんどいんじゃないかな、と。最初は嬉しいと思うんです。「なんて優しいんだろう」と感動するかもしれない。だけど、それがずっと続くのはきつい。
「ありがとう」って、空気の入った風船や預金残高みたいなもの。人は「ありがとう」と言い続けると、同じ分だけ「ありがとう」と言われ続ける必要があるんじゃないかな、と。そうしないと、だんだん生命力が失われていく。「ありがとう」と言えば言うほど、「自分一人では何もできないんだ」という気持ちが募ってだんだん卑屈になってしまいます。
そうならないためには、「ありがとう」と言う回数を減らすか、「ありがとう」を受け取る回数を増やすかどちらかしかない。
以前、ヘラルボニーのおかげで作家さんが生まれて初めて確定申告ができたという話がありましたよね。納税してくれたら、それはまさに「ありがとう」です。街の人からしても「ありがとう」だし、国からしても「ありがとう」。稼げるようになったら、家族からも「ありがとう」じゃないですか。
普段「ありがとう」と言うことが多い立場の人に、「ありがとう」と言われる機会や仕組みを作る。これはやらなきゃいけないことだし、実際にそれをやってるヘラルボニーは改めてすごいなって思います。
ただ、こういうのって一緒に働いてみないとわからないんですよね。
でも、原理を理解していれば、他の問題にも応用がききます。例えば、時短でいつも早く仕事を切り上げるお母さんたちが「ありがとう」と言い続けてたら、そりゃつらくなるよね、とか。なんでお母さんってたまに家で機嫌悪いのかな、とか。そういうことが全部わかるようになる。
障害者の人と一緒に働くことで、自然とそういう原理が腹に落ちて、これから人生で起こりうるたいていの困難に立ち向かうためのスキルを得られると思います。
お金を稼いだ結果、トラブル連発の弟を見て考えること
岸田:ここまでいろんなお話をしてきましたが、改めてヘラルボニーは「覚悟がすごいな」って感じるんです。というのも、純粋に作品によってのみ評価するスタンスが、破壊的行動とも言えるから。
福祉施設という、ある意味守られた「村」の中で暮らしていた平穏な世界に、「アートで一躍スターになれるかもしれない」という可能性を持ち込んだ。つまり、「選ばれる人」と「選ばれない人」が出てくる仕組みを作ったわけです。そして、アート作品としていいかどうかが唯一の基準。めちゃくちゃ公平ですが、それを今後も維持し続けていくにはものすごい覚悟と葛藤があるだろうと思います。
障害者の人が憧れる道、それまで閉ざされていた道を作っていく。ヘラルボニーのその姿勢は本当に一貫してますよね。
うちの弟もとある会社から仕事をもらい、イラストを描いてわりと大きい金額の謝礼を受け取ったことがありました。結果、アマゾンを頻繁に見るようになっちゃったり、勝手に大量のハンバーガーを買ってきては食べて健康診断で引っ掛かっちゃったり。それを見ると、弟はお金の存在を知らない方が幸せだったんじゃないかと考えてしまったりします。稼ぐ方法を知らないままの方がよかったんじゃないか、と。
でも、その葛藤すらも、以前は選択肢そのものがなかったからできなかった。親や兄弟姉妹など家族は「大切な人には苦労してほしくない。幸せに平和に生きてほしい」と思っているけれど、お金を稼ぐようになった結果起きるトラブルや、守られた世界から出たことでぶち上がる壁も、本人の成長には必要なんです。
以前の私たちは、弟にお金を渡さないことで「傷つく」という選択肢を奪っていたけれども、本当は傷つくことさえ弟の権利だった。今は、怒られたり失敗したりして、弟自身は少しずつお金の価値を理解しつつあります。
「ポンコツさん」があちこちにいる世界、それは幸せに違いない
ーーこういうこと一つ一つが、障害のある方と一緒に仕事をしていると学びとして自分の中に入ってきますよね。障害のある方が職場にいることのメリットってとても言語化しづらいですが、実際にたくさんあると思っていて。その点について、岸田さんはどう思われますか?
岸田:誤解を恐れずに言えば、どの職場にも「ポンコツさん」がいた方がいいと思うんです。つまり、何にもしない人。「みんなで頑張ってスキルをあげていこう!」「成長していこう!」というノリばかりだとみんな疲れちゃうじゃないですか。うちの弟はまさに「ポンコツさん」で、お金とは無関係の世界で、徹底して自分が楽しければいいという感じで生きている。人間として、動物として、一番正しい生き方をしてるんです(笑)。
そういう弟を見てると、「こんな弟でも頑張って生きてるんだから自分も頑張ろう」とか、「弟ものんびりしてるから私もちょっと休もうかな」とか、自分を許して幸せに生きていける気がします。
だから、世の中にもっと「ポンコツさん」を増やしたほうがいいんじゃないか、と。障害者雇用に関しても、バリバリ働くカリスマ人材だけでなくて、「え、この人、一体何ができるの?」という人材も同時に採用して欲しいです。
2016年に起きた相模原障害者施設殺傷事件では「重い障害のある人は生きてる意味がない」と犯人が口にしました。それに対して、「障害者の人権が大事だ」「人は誰しも障害者になる可能性がある」といった議論が起きがちですが、私はそうじゃないと思うんです。
自分では何もできない寝たきりの人も、他の人の役に立っている。会話もできない寝たきりの人の世話をするヘルパーさんの中には「人と話すのが苦手だから」という理由で仕事を選んでいるケースもあります。そういうヘルパーさんは、寝たきりの人のお世話をすることで、「こんな自分でも人の役に立っている」と自尊心を満たしているかもしれません。
そういう意味で、何もできないように見える「ポンコツさん」は国宝級に大切な存在なのです。存在しているだけで、誰かを助けているわけだから。
障害者の人が健常者の人と同じくらい、あるいはそれ以上に頑張らないといけない社会ではなくて、「そこにいるだけでいい」。それが、人権どうこうの問題ではなく、シンプルに効率の面から考えてもいいあり方だと思うんです。
ーーただそこにいるだけで周囲を幸せにしてくれる「ポンコツさん」のいる世界ーー80億の異彩が活躍できる世界ってそういうものじゃないかなという気がしてきました。前後編にわたり素敵なお話をありがとうございました。
取材/撮影協力:コクヨ株式会社 東京品川オフィス「THE CAMPUS」
編集:海野 優子(ヘラルボニー)
文:まるプロ
写真:面川 雄大
岸田さん着用ブラウスと同じアートのアイテム
ネクタイ「(無題)(青)」|シルクスカーフ 「(無題)(青)」