【最終回】兄が安心できる世界を作る。ヘラルボニーの生みの親、松田翔太が登場。「聴く美術館#22」 • HERALBONY TONE FROM MUSEUM


この春スタートした福祉実験カンパニー・ヘラルボニーの契約アーティストにフォーカスするポッドキャスト「HERALBONY TONE FROM MUSEUM〜聴く美術館〜」。

俳優・映像作家・文筆家として活躍する小川紗良さんと、ヘラルボニーの代表取締役社長の松田崇弥(たかや)が聞き手となり、アートに耳を澄ませながら、作品の先に見えるひとりの”異彩作家”にフォーカスしてきました。

記念すべき最終回は、松田ファミリーが勢ぞろい。代表取締役副社長で崇弥の双子の片割れである文登(ふみと)、そしてヘラルボニーという謎の言葉の生みの親でもある兄・翔太さんとご両親の文弥(ふみみ)さん、妙子さんにもご登場いただき、ヘラルボニーができるまでの道のりと、これからの未来をご家族で語っていただきました。

ヘラルボニーが挑んだラジオでの新たな福祉実験、その最終回の模様をお届けします。

#息子3人の「やりたい」がいちばん大切

小川:春からスタートした「聴く美術館」も最終回ということで、まさにラストにふさわしい、ヘラルボニーと深い繋がりがある方々にゲストとしてご登場いただきました。崇弥さん、ご紹介ください。

崇弥:私たち双子の松田崇弥・文登の、母親と父親と兄貴という、家族5人で参加させていただきます。よろしくお願いします!

小川: 素晴らしい。家族総出でありがとうございます。

崇弥:緊張していますか? ご家族の皆さんは。

妙子さん:はい、してます。

崇弥:息子のラジオに出るっていうのは、幸せなことって思いませんか?

(一同笑い)

文登:どんな気持ちですか?

妙子さん:いっつもそういうふうに言われるんだよね。「幸せだよね?」って(笑)

崇弥:いや自分がね、娘のラジオにこんなふうに呼んでもらったら、すごい幸せだろうなって思ってね。

妙子さん:幸せです。

文弥さん:本当に素晴らしいと思います。ありがとう。

小川: ありがとうございます。今日は岩手のご自宅からお送りしてくださってるということで。翔太さんもよろしくお願いします。

翔太さん:しまーす!

小川: ありがとうございます。ヘラルボニーという社名の由来については初回の放送でもお話がありましたが、翔太さんがノートに書いていた言葉がきっかけなんですよね?


崇弥:そうです。でも翔太さんに聞くと、毎回「わかんない!」って言うんですよね。謎の言葉のまま。

文登:ヘラルボニーってどういう意味なの? 翔太さん。

妙子さん:ヘラルボニーってなんなの?

翔太さん:わかんない!

妙子さん:わかんないって。

翔太さん:松田がんは病気でなくなっちゃった!

文登:うちのおじいちゃん「松田がん」って名前なんですけど、癌で亡くなったときに「松田がんなくなっちゃった」っていうのを、もうなんか、翔太さんは延々に言い続けていて、いろんなとこで大きい声で言うんですよ。

翔太さん:なくなっちゃった!

妙子さん:そういえば、ヘラルボニーについて一番最初に聞いたときは「馬」って言ってました。

小川:うま?

崇弥:そうなんですよ。「ヘラルボニーってどういう意味?」って聞いたら、「馬ー!」って言ってた時期があって。

小川: うまって、ホースの馬?

文登:そうですね。ヘラル“ポニー”って思ったのかな。

小川: でも確かに馬っぽいと言えば馬っぽいですね。今言われてみてみると。

文登:なのでヘラルボニーのブランドロゴって、ぐるぐるぐるって描いてあるのが、横から見ると馬のマークに見えるデザインにしているんですよ。

小川:あぁ! そうなんですか! 初めて知りました!

文弥さん:当時、障害を持つ人に良いっていうことで乗馬をしてたんですよね。そのころに描かれたものかなとも思うんですけど。ただそれが本当に馬かどうかはわかりません。ただ「ヘラルボニー」って書いていたっていうのは、記憶にあります。

小川:なるほど。じゃあ心の底の底にはもしかしたら馬のイメージが広がっていったのかもしれないという。

文弥さん:いまは言わないけどね。

崇弥:ただ、けっこう商標とかいろいろ馬で取っちゃってるんで、今後変わったらどうしようかなっていう不安はありますけどね(笑)。「猫でした!」みたいな。

小川:ふふ。変わる可能性もありますからね。

妙子さん:(ヘラルボニーとは何か)何度も聞かれるから翔太さんは「もうわかんない!」って。

崇弥:そうね。何回も聞かれすぎて、もう禁句みたいになってるもんね。

妙子さん:「まただ!」って(笑)

文弥さん:そうそう!

小川:翔太さんの話はこのポッドキャストでも何度も聞かせてもらっていますが、あらめてお父様とお母様に、今まで翔太さん、崇弥さん、文登さんと接してきて、子育てでの気づきや、感じてきたことをお聞きしたいです。

妙子さん:子供が生まれたらどんな育て方をしたいかというイメージがもともとあって。「小学校くらいまでは勉強よりも、友達といっぱい遊ばせたいな」とか「いろんな体験をたくさんさせたいな」とかって思ってたんですね。友達と遊ぶことで学べることって、いっぱいあって、生きていく上ですごい大事なものじゃないかなって思ってたんです。あと話はよく聞いてやって、やりたいっていうことはできるだけやらせ、応援したいなって思ってました。

小川:素晴らしい。

妙子さん:ありがとうございます。でもその通りだったかどうかわかんないですけど、そうしたいと希望は持って育てていました。あと文登と崇弥に関しては、翔太に障害があったんで「お兄ちゃんに障害があるから僕らはしたいことができなかった」って感じて欲しくないなっていうのはすごく思っていて、できるだけそうならないように育てていました。文登と崇弥ももちろんかわいそうだけど、翔太もそう思われるのってかわいそうなことだなと。それには気をつけながら、育ててきましたね。

小川:なるほど。お父様はいかがですか。

文弥さん:私は金融機関に勤めていたんですが、ずっと単身赴任だったんです。金曜日に家に帰って、月曜日の朝に赴任先に帰るというような暮らしだったんですね。小さいころの話ですと、妻は「障害があるからダメ」とは言わず、いろんな福祉団体に連れていって、いろんな経験をさせ、健常者も健常者じゃない人もいるイベントに翔太も連れて参加していました。絶対に障害を隠したりなんかしなくて、そういうのが妻の「信念」っていうのかな。いつも私はすごいなと思っていました。子育てはもう本当に妻に任せきりというのが多かったんですけども、環境で子供たちが育ってよかったなと思います。

小川:3人とも本当にのびのびといろんなところに出かけていってたんですね。崇弥さん、文登さんは当時のこと覚えてますか?

崇弥:本当に母親が言ったように、何かを止められたような記憶はないですね。そういう意味では、たしかにいろいろとのびのびやらせてもらいました。あと自分たち自身も、障害のある兄貴がいたから何かできなかったという思いもしたことがなくて、そういう意味ではありがたいなと思います。ただ、父親と母親が小さい子供3人を育てるのは本当に大変だったんだろうなっていうのは今になって感じてて。昔(翔太さんが)母親と楽しくしゃべってる途中に父親が帰ってくると、兄貴が途端に絶望した声になって「おかえりなさい……」みたいな(笑)。「私、完全に憔悴しきってます」みたいな状態になって、いきなりチャンネルが切り替わるような姿を何度も見たことがありますね。

小川:文登さんはどうですか?

文登:それは私も思い出深いですよね。でも崇弥が言ったように、やりたいことを自由にさせてもらったという経験が、やっぱり今に活きてるんじゃないかなと思います。いわゆる「きょうだい児」と呼ばれる、障害のある方のご兄弟って、障害児にばかり親が時間を割いていて、自分は全然見てもらえなかったという価値観になる場合もやっぱりあるんですが、私たち自身は積極的にいろんなところに自らアクセスしていけた。

崇弥:まぁむしろ参加する感じだったもんね。

文登:そう。団体にね。

崇弥:むしろ自分たちの時間が分配されてるっていうのではなく、兄と一緒に参加するっていう感じだったので。

文登:そういう日々だったね。親と一緒にいたっていうよりかは、その空間には親はいたけど、むしろいろんな人たちにかわいがってもらえた時間のほうが多かったです。

小川:お父様、お母様がお子さんたちを人として尊重して接されていたんだなっていうのが伝わってきますね。翔太さんはどうですか? 子供のときの思い出、ありますか。

崇弥:翔太さん、子供のころなにが好きだったかな? 翔太さん、鉄棒が好きだったよね?

妙子さん:雲梯の上とか歩いてたからね。

崇弥:翔太さん、鉄棒覚えてる?

翔太さん:鉄棒。

文弥さん:あとカラオケ。水戸黄門。あとは何だっけ?

翔太さん:わかんない。

妙子さん:あと写真撮って。

文弥さん:写真撮ってたね。

小川:噂によると、タモリさんが大好きだと。

崇弥:そうそう。

妙子さん:タモリさん好きだね。

小川:先ほど子供たちのやりたいっていう気持ちを止めないようにしていたとお話されていましたが、ヘラルボニーを設立するっていう話を聞いたときのご両親のお気持ちはどのようなものでしたか?

文弥さん:ヘラルボニーを設立する前にはMUKUっていう会社を立ち上げたわけですけど、息子たちが大学を卒業してようやく4年目ごろ、順調に会社勤めをしていたのに急遽辞めると言われたときには、私自身本当にですね、ちょっと戸惑いましてですね。はっきり言ってびっくりしました。いろいろ話を聞きましたが、まったく納得できるようなことではなくて。ビジョンも何もなくて......

崇弥:いやビジョンはあったよ!

文登:ビジョンはバリバリあったって!

文弥さん:いやビジョンはあったかもしれないけど。でも福祉業界を見ると、融資制度がどうなのかとか、信用度がわからないとか、やらなきゃいけないことがあるのに「とにかくやりたいんだ」と。その熱い想いは親父として私もわかるんですけど、ただそれだけじゃ福祉業界でアートはなかなか難しいよと。やはり福祉業界っていうのは、NPO法人や自治体の助け合いによって歴史を作ってきたわけで。そのなかで株式会社として立ち上げるという話だったので、親としての不安な思いがありました。そうはいってもですね、(崇弥さんと文登さんは)絶対言うことを聞かないんですよね!

崇弥:ふふ。

文弥さん:とにかく「(会社を)辞めるから!」って。なんだこれって感じですよ。ただ、さきほど大反対だったとは言いましたが、親の助言を気にすることなく、絶対に会社を立ち上げるというのは、今思えば相当な覚悟のうえだったんだなと感じてます。それをですね……

文登:長い、長いよ!

(一同笑い)

文弥さん:あと30秒だけ! 崇弥は探究心がすごかったんですよ。文登は負けず嫌いな性格で。そういう双子たちでお互いに熱い想いをもって、相当の覚悟で頑張ってるんだなと。今は頑張ってほしいなと思っ

ています。

小川:お父様、お母様も福祉に近いところにいらっしゃったからこそ、心配なこともいろいろあったのだと思います。お母様はどんなお気持ちでしたか?

妙子さん:お父さんがすごいしゃべっちゃったから……(笑)。

崇弥:もう親父、しゃべりたくてしょうがないんだろうなっていうのが伝わってくるよ!

文弥さん:なーに言ってんだ(笑)! じゃあ次は短めにしゃべります。

妙子さん:息子たちには、もともと障害がある人に関わる仕事とか福祉関係とかに就いてほしいっていう希望は持ってなかったんですね。実際に仕事として関わると、家族として持ってる理想と現実とのギャップに悩むことが多いんじゃないかなと思って。小さいころの学校文集には「特別支援学校の先生になりたいです」って書いてたりもしてたんですけど、たぶん私自身がそう勧めたことはなかったんじゃないかと思うんですよね。だから最初に言われたときは驚いたんですけど、翔太をずっと見てきてそういう仕事をしたいと思ってくれたのは嬉しかったです。

小川:ありがとうございます。私は端から崇弥さんと文登さんを見ていて、先ほどお父様のお話にあった「探究心のある崇弥さんと負けず嫌いな文登さん」っていうコンビネーションが、ヘラルボニーの経営にも良い影響を与えているんじゃないかと思うんですが、ご両親が経営者としてのおふたりを見ていて思うことってありますか?

文登:いやもう経営者としてはだいぶナメられてますよ!

(一同笑い)

文登:実家に帰ると「これやったのか、あれやったのか」って、当たり前だろっていうようなやつを聞いたりね。

文弥さん:コンプライアンスの問題とかね、今厳しいじゃないですか。「そんなのわかってるから!」とよく言われます。

親はいつも心配ですよね。

妙子さん:本当に経営者としてやってんのかなって思いますよね。素晴らしいスタッフの皆さんに支えてもらっていると思います。

小川:このポッドキャストの収録にもヘラルボニーの社員の方々が来てくださるんですが、もう本当に雰囲気が良いんです。トップに立っているおふたりが素晴らしいからだろうなと思いますよ。

崇弥:ほら、どう?

妙子さん:あはは!

文弥さん:親がなかなか褒めることはないんですが、人徳はあると思います、このふたりは。

文登:わ、めちゃくちゃ褒めてくれた(笑)。ありがとうございます!

# 兄・翔太と築くフラットな関係性

小川:翔太さんもヘラルボニーのイベント行かれたりとか、お洋服を着たりされるんですよね?

翔太さん:う、うう、うん。うん。

崇弥:でも翔太さんは、青い服しか着ないよね? 工藤みどりさんの青。あ、今着てるんだ!

妙子さん:こだわりがすごく強いので、一応翔太が喜ぶかといろいろ買うんですが、見せると「着ない!着ない!」って。

崇弥:いっさい着ない。

小川: へぇ~!

妙子さん:いつでもこれです。

崇弥:制服のようになってるよね。青いTシャツね。

妙子さん:これはお気に入りなの。

小川:お気に入りの作家さんの絵があるんですね。

妙子さん:でもこれ、売ってないからねぇ。

小川:あぁ、そうなんですか?

文登:Tシャツの絵を見せたいのに見せてくれないね。

文弥さん:(翔太さんへに向かって)はい、立って?

(翔太さん、立ち上がる)

崇弥:あぁ、見えた見えた!

文登:今、ギリギリ。あぁ、見えなくなった(笑)。

崇弥:工藤みどりさんっていう、マッキーの太いペンをつかってピッピッピッと雨のような作品を描く作家さんなんです。

Midori Kudo「(無題)(青)」

小川:まさにこのポッドキャストのキービジュアルとなっている作品も工藤さんのものですよね?

崇弥:そうです!

崇弥:あと翔太さんは、言葉遊びが本当に大好きで。新幹線とか、やるかな? じゃあいくよ、翔太さん!せーの!

松田さん一家:しーんかんせーん!

小川:すごい笑顔で、ありがとうございます! お話では聞いてましたが、実際に初めて見ました!

崇弥:あとね(裏声で)おーすもうさんの?

翔太さん:おーすもうさんの!

小川:あ、これも話に聞いてました!

崇弥:佐ノ山っていう力士がね、好きなんだよね。

翔太さん:うん! うん!

小川:翔太さんにはいろいろこだわりがあると思うんですが、おうちの外に出るときに、1回立ち止まるっていうのも以前動画で拝見しました。

崇弥:そうなんですよ。1回硬直して、10秒ぐらい経ってから出るんだよね。

妙子さん:あと何回もドアを開けたり閉めたり、開けたり閉めたりします。車に乗るときもドアを何回も、壊れるんじゃないかと思うぐらい開けたり閉めたりするし、コップを置くときも、トントントンって。うまくいったかなと思うと、また始まって、トントントントンと。自分のタイミングがあるらしいんですよね。それが決まるまでずっとやり続けています。

小川:「ドアを強く閉めない」とか張り紙があったりするんですよね?

崇弥:それは視覚支援をやってるグループホームに貼ってありますね。

妙子さん:家では土日のスケジュールを紙に書いて、前の日に確認してますね。

小川:平日はグループホームに行かれてるんですか?

妙子さん:そうなんです。金曜日の午後3時過ぎに迎えに行って、月曜日に送っていきます。

小川:グループホームではどんなふうにいつも過ごしているんですか?

妙子さん:一応グループホームのスケジュールがあるらしいんですけど、翔太は自分でスケジュールを決めるんですよね。なので、グループホームのスケジュールからだんだんもうずれてしまってるんですけど。ご飯を食べて、お風呂に入って、部屋に行ってと、自分で決めたスケジュールに沿って過ごしています。

小川:なるほど。翔太さんと文登さん、崇弥さんは小さい頃から仲が良かったんですか? どんなふうに過ごしてたんですか?

崇弥:一緒によく遊んでましたよね。鬼ごっことか。(翔太さんに)「待て-!」って言われて、それは追いかけろって意味なんですけど、兄貴がそういうと、追いかけたりとかね。あとお風呂場でも、バッシャーンって湯船に突っ込む遊びとかね。そういうすごいシンプルなのが好きだったんですよ。

文登:なんかイライラ棒みたいなのが大好きで。

崇弥:なのでそういう遊びをしてましたよね。あとは言葉遊びとか。

小川:ケンカされることもあったんですか?

文登:小さいころはよくありましたね。母親が18時に帰ってくるからねって伝えてたとすると、時間通りに帰ってこないとやっぱり兄貴としてはパニックになる。で、「なんで18時に帰ってこないんだ!」っていうのを私たち双子に言って、まぁケンカというか、殴り合いになるんですよ。

崇弥:体のね、サイズが違うから。私たち6歳とかで、兄貴が10歳とかなんで、体格差があって、すごい強いんですよ。

妙子さん:えぇ!? 負けそうだった?

崇弥:負けそうではないけど、ただ鍵を閉めてたのはすごい覚えてるね。鍵を閉めて、それでもう兄貴が泣きながら、壁をドンドン叩いて「お母さん帰ってくる!?」って叫んでるような、地獄絵図みたいな展開になったりしてましたよね。やっぱり予定が狂うと兄貴にとっては見通しがきかなくて、耐えられないので。

妙子さん:あのときねぇ。今思えば、ちゃんと何時に帰るか訂正して伝えればよかったなと思います。そこまでしないと、やっぱり翔太はわからないから。

崇弥:でも、そのときけっこう処世術みたいなものが生まれて。翔太さんは水をすごく怖がるんですよ。なんでなんだろうね? とにかく「水かけるよ!」っていうと「やめてください!」って。今は違うと思うけど。当時はね、水への恐怖が自分たちを救ってたかもしれない(笑)。

妙子さん:それ、初めて聞いた。

小川:親子の間でも、いろいろ知らない兄弟の姿があるんですねぇ。最近は何かご家族で過ごした思い出とかエピソードとか、ありますか?

崇弥:最近は私の娘と翔太さんで遊んだりとか、一緒に過ごしたりっていう時間が多いです。娘がボールプールに飛び込んでる横で、兄もバッシャーンといくんで、やっぱり35歳が飛び込むとちょっと危ないなと思ったりもして。そういう意味では、やっぱり誰もが遊べるようなボールプールや公園があったらいいなと、兄貴と娘の遊びを通じて、考えるものがありますね。

小川:なるほど。文登さんの息子さんも、一緒に遊んだりするんですか?

文登:そうです。最近息子が、翔太さんに対してライバル心むき出しなんですよ。

崇弥:そうなんだ(笑)。

文登「翔太さんこれやっちゃダメだよ!」とか「俺はこれできるよ!」とかアピールしてて、なんか本当に対等な目線でやりとりしていて、2歳なりに翔太さんの感覚がわかるんだろうなと思いますね。

妙子さん:でも、少し前までそういう感じでライバル的な感じだったんだけど、このあいだは私たちが翔太に話しかけるように「翔太さんなになにする?」って声かけてたのね。そういうふうに声をかける対象なんだって感じたんだろうな。

崇弥:やっぱ翔太さんって、自分がテレビを見る時間にリモコンを取られると、許せないんですよ。うちの娘にも「やめろやめろやめろ!」って言ってて。娘もあんなタイミングでキレられたことがないから、というか翔太さんは注意してるだけなんだけど、娘もそれで大泣きして。

妙子さん:泣いてたねぇ。

文登:うちの息子もおんなじ。そこから翔太さんに「そんなこと言うな!」って息子が言って戦いになってるんで。でもそういうフラットな関係性が、心地よいというか面白いですね。

小川:いいですね。ふたりのお子さんにまで関係性が広がっているんですね。

文弥さん:私からもひとついいですか?

小川:はい!

文弥さん:翔太が小学校高学年、崇弥と文登が低学年のころに、花火大会があったんですよ。私は仕事があったので、妻が3人を連れて行って。で、私が仕事から自宅に戻ったら妻から「翔太がいない!」って、泣き叫ぶような電話が来たんです。でも、翔太はそのとき私の横にいたんですよ。「翔太、うちにいるよ?」っていたら「えぇぇ~!?」と。びっくりしましたよ。だって花火大会と自宅は3キロ以上離れてましたからね。しかも花火大会の会場は広くて、周りは林になっていて。そんなところから、翔太がひとり帰ってきたんですよね。あれは未だに忘れられないですね。

小川:翔太さんなりに道を覚えていたのかもしれないですね。

文弥さん:そうかもしれないね。うん、覚えてると思います。

#兄が安心できる世界を目指して

小川:ヘラルボニーも5周年を迎えて、このポッドキャストを配信している数ヶ月間ですらものすごい成長を遂げている姿を見せていただいて本当に刺激的でしたが、これからヘラルボニーで目指していることはありますか?

文登:どうですか、妙子さん。

妙子さん:え、私?

小川:じゃあ、お母様にお聞きしましょう。お母様がヘラルボニーについて願っていることとか、ありますか?

妙子さん:障害のある方のご家族が、ヘラルボニーは希望だとよくおっしゃってくださるんですが、そういうヘラルボニーの理念に共感して応援してくださる方々がどんどん増えていってくださったおかげで、いま5周年を迎えることができたんだなって思ってます。それで、そういう人たちと一緒にこれからも前に進んで、ヘラルボニーが目指す社会をみんなで見たいと思いますね。

小川:ありがとうございます。お父様はどうですか?

文弥さん:先ほど妻が言いましたが、夢と希望がある企業になってほしいですね。あとやはり「障害は欠落ではない、個性である」というビジョンをきちっと、常に持ちながら、ぶれずに頑張ってほしいなと思います。あと最後に私の気持ちなんですけど、やはり仲間への感謝の気持ちを常に持ちながらですね、進んでほしいなと。人との関わりというのは、一番大切なものだと思うので。以上です!

小川:ありがとうございます。崇弥さん、文登さんはいかがでしょう?

崇弥:目先の世界としては、ヘラルボニーを誰もが当たり前に知っている美しいものにしたいです。当たり前に美しい服として着ていたり、大人になって成長してから「私の子供部屋のカーテンはヘラルボニーだったんだ」と気づいたりするような。

崇弥:ありがとうございます!翔太さんはどうですか?

翔太さん:うん。

文登:さっき崇弥がしゃべってるときすんごい大あくびしてたよ(笑)。

崇弥:あはは! でも翔太さん、講演会によく聞きに来てくれるんですけど、スライドで自分の写真が映

ると「翔太さん!」って言ってくれるんだよね。

(翔太さん、じっと画面を見つめる)

文登:目線が強い! 目が座ってるよ!

崇弥:ラジオだとわからないけど、翔太さんはね、けっこう睨みつけてるような、ガン飛ばしてるときがあるから。

妙子さん:ちょっと近眼だからね。怖くないよ、優しいよ。

文登:目が大きいから。

小川:今日は一家団らんの中にさせてもらったような和やかで、でも希望を感じる素敵な時間でした。ありがとうございました!

崇弥:ありがとうございました!

小川:4月から始まったこのポッドキャストなんですけどこれにて終了ということで、本当にありがとうございました。

崇弥:こちらこそ、素晴らしい時間をありがとうございました!

小川:毎回いろんな作家さんに出会えるのがもう刺激的で、良いアートにたくさんで出会わせてもらいました。ありがとうございました!

崇弥:紗良さんがいたからこそです。

文弥さん:本当ですね。

文登:岩手でも楽しみにしています!

小川:はい! もう岩手には行く気満々なので!

文登:ぜひお待ちしてます。

小川:翔太さん、お父様、お母様も待ってくださいね。

文弥さん:ぜひ岩手に来てください!

小川:最後に、リスナーの皆さんへ崇弥さん、文登さんからなにかメッセージはありますか?

崇弥:展覧会でも「ポッドキャスト聞いています」と言っていただいたり、ご連絡を直接いただいたりこのポッドキャストを通じて、リアルな情報を深くお届けできたんじゃないかなって思っています。この番組自体はいったん終了という形になりますけれども、私たち自身としても非常に面白い経験をさせていただいて、またいつか復活できたらと思ってますので、楽しみにしていてください。そしてこれからも、ヘラルボニーは突き進んでまいりますので、応援のほどよろしくお願いします!

小川:文登さんもお願いします!

文登:このポッドキャストが残り続けること、そして皆さんとこの番組がともに過ごした時間そのものが、新たな音声の形として障害のある方たちが当たり前に出るラジオを作るという福祉実験カンパニーらしい実験になったんじゃないかなと思っています。これをもっともっといろんな人たちに届けていけるような形で進化させて、将来またお会いできたらなっていうこと思ってます。この度は聞いていただいて本当にありがとうございました!

小川:ありがとうございます。本当に振り返ってみると、このポッドキャストにはいろんな異彩作家さんがいらっしゃって、立ち上がる方もいれば、席を立たれる方もいて。

文登:そうでしたねぇ!

崇弥:そうそう!

小川:出て行かれる方もいれば、歌い出す方もいて、本当に自由で楽しい時間がたくさんありました。これからもアーカイブは繰り返し聞いていただけますので、皆さんぜひぜひ聞き返して楽しんでいただけると嬉しいです。そしてまだまだ素敵な異彩作家さんがたくさんいらっしゃるので「もうこれは出てもらわなきゃ!」というときには、またぜひ復活しましょう!

崇弥:ぜひ! そうしましょう。

文登:翔太さんにいたってはもう寝そうだもんね。

文弥さん:30分前から頑張ってたから!

崇弥:疲れちゃったんだね。翔太さん、楽しかったですか?

翔太さん:楽しかったです!

崇弥:おー、それはよかった!

小川:今日は崇弥さん、文登さん、そしてお母様の妙子さん、お父様の文弥さん、そして翔太さん、どうもありがとうございました! 最後に全員でヘラルボニーと声を揃えて言ってみましょう。

崇弥:やりますか。せーの!

「ヘラルボニー!」

『HERALBONY TONE FROM MUSEUM〜聴く美術館〜』は無料で配信中

「アートから想像する異彩作家のヒストリー」をコンセプトに、アートに耳を澄ませながら、作品の先に見えるひとりの”異彩作家”の人柄やこれまでの人生に触れる番組です。

役者・映像作家・文筆家として活躍する小川紗良さんと、ヘラルボニーの代表取締役社長の松田崇弥の2名がMCを担当。毎回、ひとりのヘラルボニー契約作家にフィーチャーし、知的障害のある作家とそのご家族や福祉施設の担当者をゲストにお迎えしています。

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