人間が、人間に犯してきた大きな過ち。そして反省ーーいま「障害者権利条約」採択の意味を考える《きょうされん・藤井克徳|HERALBONY社員向け特別講演》

2006年12月13日。18年前の今日、世界中の人々の思いがひとつとなり、「障害者権利条約」が国連で採択されました。

それは、長い年月をかけて差別や偏見に立ち向かい、尊厳を求め続けてきた人々の声が、ようやく世界に届いた瞬間でした。この条約は、障害がある人もない人も、誰もが人間らしく生きていくための未来への扉を開けたのです。NPO法人日本障害者協議会代表であり、障害者団体「きょうされん」専務理事も務める藤井克徳さんはこう言います。

「この権利条約は、私たち人間の過去の過ちと、その反省の上に成り立っている。」とーー。

HERALBONYでは、自身も視覚障害者であり、福祉の最前線で活動されてきた藤井さんによる全社員向け特別講演を実施。障害福祉の「今」と「これから」を考える上で重要な知識と、全社員に深く刺さった藤井さんの言葉をお伝えしたく、講演内容の書き起こしコンテンツを前後編にわたってお届けします。

目の見えない私が障害者問題と向き合うようになった原点

藤井克徳(以下、藤井):HERALBONYでは、4年前も講演をさせていただきました。今日のテーマは「障害のある人の今とこれから」であり、「障害者問題の基礎知識」とも言い換えられる内容だと思います。

日本における障害者問題の歴史や、現状の課題などさまざまなトピックに触れますが、本題に入る前に、少しだけ私自身の話をさせてください。

私は視覚障害者であり、今は全く目が見えません。30年ほど前に文字と決別をして、10年ほど前に光と別れました。以前は養護学校の教員をしており、その当時、障害の重い子どもは学校に入れませんでした。このような子どもたちを学校に入れるために、さまざまな取り組みを行う中で、社会や行政に対して理不尽さを感じることが多かったのです。

同時に、そのような理不尽に慣れてしまう怖さも感じました。障害のある人の現状は変わっていないのに、「以前より少しは良くなったかもしれない」などと思って、思考停止してしまう。そうした慣れに対して、どうにか抵抗したいと思っていました。

理不尽さと、それに慣れてしまうことへの抵抗。この2つが、私が障害者問題と向き合うようになった原点と言えます。

日本に障害のある人はどのくらいいる?

さて、日本に障害のある人がどのくらいいるかご存知でしょうか。厚生労働省が2024年5月に発表した統計を見ると、障害者(身体・知的・精神)の数はおよそ1,164万6千人。日本の人口は、最新の調査で約1億2,500万人と推計されていますので、障害者の数は人口の9.3%に相当します。

実は、この数から漏れているグループが2つあります。1つは認知症で、現在、国内には予備軍も含めて約670万人の認知症患者がいると言われています。

もう1つは、弱視や難聴、難病、発達障害のある一部の人々。彼らの障害は「谷間の障害」と言われており、統計に含まれないだけでなく、障害者手帳ももらえません。関連する学術団体の独自調査によると、谷間の障害に該当する人は、およそ1,000万人いると推測されています。

先の統計に、これら2つのグループの数を足すと、人口の22〜23%が障害のある人ということになります。この割合を見ると、障害者を「マイノリティ」と捉えることに疑問が生じてきますよね。

アメリカでは人口の20%、ニュージーランドでは人口の22%を基準に社会制度を作っています。日本でも、国民全員が社会的に向き合う問題として、障害者問題を考えてもいいのではないでしょうか。

震災時、障害者の死亡率は2倍。なぜ?

では、そもそも「障害」とは一体どういうものなのでしょうか。

ほんの数十年前まで、障害とは「本人に属すもの」と考えられてきました。しかし、最近では、障害は本人に属す部分が半分、もう半分は本人を取り巻く社会や環境との関係によって起こるものと考えられるようになってきています。その人が置かれた社会や環境によって、障害は重くも軽くもなるのです。

例えば、車椅子の女性がカフェに入るところを思い浮かべてみましょう。入口や店内に段差があると、たちまち苦労してしまいます。しかし、段差がなければスイスイ移動できますよね。

次に、知的障害のある男性が街に出るところを想像してみてください。漢字表記の看板がたくさんあると、目的地にたどり着くのに苦労してしまいます。しかし、北欧などで使われているユニバーサルデザインの絵文字などが添えられていると、情報がうんと入りやすくなります。

このように、周りの環境や情報が変化することで、彼らの生活のありようはがらりと変わるのです。

東日本大震災に関する調査では、障害者の死亡率が全住民の死亡率のちょうど2倍だったことがわかっています。本来、被害の割合は等倍であるはずですが、なぜこんな風に差が生じてしまうのでしょうか? 結論としては、障害者を支援する政策の水準が低いから、と言わざるを得ません。

目が見えない、麻痺がある、知的な遅れがある、といった要素だけで障害を捉える考え方を「医学モデル」と呼びます。これに対して、本人を取り巻く社会や環境との関係によって障害が起こるという考え方を「社会モデル」と呼びます。これからは、社会モデルに力点を置いて、政策や現場の実践を考えていくべきだと私は考えます。

最大の問題は「精神障害者を隔離する」という考え方

先ほど「障害者の数」の統計をお見せしましたが、内訳を見てみると、精神障害者の割合が非常に多いことがわかります。絶対数か、調査方法の違いによるものか判明していませんが、前回の調査と比べて200万人ほど増えており、今後さらに増えていくことが予想されます。

日本における精神障害に関する問題は多々ありますが、最大の問題は、今なお「精神障害者は精神病院に隔離する」という考え方が主流であること。

隔離するためには、患者の数だけ病床が必要であり、療養環境が整っていることが、結果として隔離を拡大したり、長引かせたりすることにつながっているとも言えます。

実際に、OECD(経済協力開発機構)の精神科病床数を比較すると、日本はダントツで1位。このように、他国と比較をしてみることで、精神障害に対する日本の対応の遅れと、その原因が見えてくるのではないでしょうか。

障害のある人の約80%が「貧困」に閉じ込められている

きょうされんでは、毎年、障害のある人の地域生活実態調査を行っています。

2023年の調査では、障害のある人の78.6%が相対的貧困以下の生活をしていることがわかりました。相対的貧困とは、ある国や地域の生活水準のなかで比較したときに、大多数よりも貧しい状態のこと。ありていに言えば「貧乏ライン」です。

相対的貧困には世界水準の計算式があり、日本の貨幣価値に置き換えると、2023年の貧乏ラインは年間127万円以下。より細かく言えば、税金や社会保険料を差し引いた可処分所得の年間総額が127万円以下だと、大多数より貧しい状態と言えます。

障害のある人のおよそ80%が「貧困」に閉じ込められてしまっている……。残念ながら、このような状況は長いこと変わっていません。

「本人の我慢」と「家族の負担」で成り立つ生活は健全ではない

20世紀のイギリスの小説家であるウィリアム・サマセット・モームは、『人間の絆』という小説の中で「そこそこの収入がなければ、人間の半分の可能性と縁が切れる」と書いています。障害のある人が、さまざまな機会や人とのつながりを失わないためにも、相対的貧困は今すぐ着手しなければならない課題なのです。

きょうされんの調査の中には、障害者の50%以上が、家族と同居しているというデータも。収入が低いために家族の支援を受けなくてはならない状況は、あえてネガティブな言葉で「家族依存」や「家族負担」と言い表すことができ、本人の我慢と家族の負担という含み資産で成り立っている生活は、健全とは言えません。
とはいえ、共同生活援助(障害者グループホーム)を利用する方が少しずつ増えているのも事実。家族依存からの脱却という意味では良いことかもしれませんが、これが健全な状況かと問われると、難しいところです。

障害者を「不良」とする優生思想

皆さん、「優生保護法」という法律名を聞いたことがあるでしょうか。優生思想とは、健康な者だけが残り、劣る者や弱い者には消えてもらおうという思想のこと。これを、個人単位ではなく、民族あるいは特定の社会層に適応させようとしたのが、優生保護法です。

優生保護法では第一条で「この法律は、優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命健康を保護することを目的とする」と定めています。つまり、この国では優生思想を公で認めましょうということですね。そして、この条文にある「不良」とは、障害者のことを指します。
この法律が成立したのは1948年。この年数がなぜ重要かというと、新しい日本国憲法が施行されたのが1947年だからです。現行憲法が、基本的人権の保障や法の下の平等を定めているにもかかわらず、優生保護法が成立したということは、よほど障害者を排除したかったのでしょう。

優生保護法は、1996年に改正されるまで、48年間この国に居座り続けました。この改正に伴い、優生思想に基づく条文は削除されましたが、長年にわたって人権侵害を受け続けた被害者に対して国は謝罪をせず、補償や実態調査なども行われなかったのです。これに対して、多くの被害者が立ち上がり、国に対して賠償を求める訴訟を起こしました。

障害者が子どもを産めないようにーー被害者は最低でも84,000人

では、優生保護法の下、障害者たちはどのような被害を受けたのでしょうか。

優生保護法では、障害者は障害者を産むに決まっているという固定観念に基づき、第二条以降で「優生手術」について定めています。簡単に言えば、障害者が子どもを産めないように卵管や精菅を切除したり、人工妊娠中絶を行ったりすることを、国が推し進めていたということです。

優生手術の被害者は、厚生労働省が把握しているだけで約25,000人。さらに、知的障害者と精神障害者は、妊娠が発覚すると、本人の同意なしに人工妊娠中絶をして構わないとされており、この被害者が58,972人いたことがわかっています。

つまり、最低でも約84,000人もの人が被害を受けたということ。実際には、もっと多くの被害者がいたと推測できます。
優生保護法の影響は、多数の被害者を生んだだけにとどまりません。皆さんは信じられないかもしれませんが、当時の高校の保健体育の教科書には「障害者と結婚してはいけない」とはっきり書かれていたんですよ。

半世紀もの間、このような優生思想を国策として広めたことで、国民の間に優生思想が浸透。今もなお、日本で障害者差別がなくならない原因となっています。

「優生保護法は、立法当初から違憲」 政府は謝罪

優生保護法をめぐる訴訟は2018年に始まり、2024年7月3日、ついに最高裁判所大法廷で初めての判決が下されました。

戸倉三郎裁判長は「優生保護法は、立法当初から憲法に違反していた」とはっきり指摘した上で、国に賠償を命じる判決を確定。また、除斥期間についても触れ「この問題に限っては除斥期間が適用されず、永久的に罰する」といった内容を言い渡しました。

除斥期間とは、法律で定められた期間のうち、その期間内に権利を行使しないと権利が消滅する制度のこと。優生保護法をめぐる訴訟では、手術の違憲性に加えて、20年を過ぎると賠償の請求権が消える除斥期間の適用が大きな争点になっていたのです。
当日、最高裁判所の周りには、傍聴券を求めて1,000人を超える被害者が集まりました。傍聴席の数は140。抽選に並んだとしても、ほとんどの人が当たりません。それでも皆が並んだのは、今、被害者にできることは並ぶことしかないという思いがあったからです。
判決が出ると、国会や政府は大慌て。7月17日に、総理大臣を含む3人の大臣が裁判の原告である被害者たちと面会し、政府として謝罪しました。その後、10月8日の参議院本会議で、旧優生保護法の補償法案が全会一致で可決・成立しました。
こんな風に裁判が終わり、政府が謝って、法律ができましたが、今はようやくスタート地点に立った段階。本当にアクションが必要なのは、ここからです。

まずは、被害者全員に対してどのように補償を届けるか。そして、この国から優生思想をどうやって薄めていくのか。そもそも、こんな法律がなぜ生まれたのかという検証も進めていくべきでしょう。

追悼記念碑に刻まれた人間への祈りと願い

少し重い話になりましたので、「この国はこれからどこに向かっていくのか」という、未来に向けた話もしましょう。

今日の講演で、特に覚えていただきたいキーワードは「障害者権利条約」です。これを学ぶことで、障害のある人の今とこれからをどのように考えるべきか、霧が晴れたように方向性が見えてくるはずです。

2006年に国連総会で採択されたこの権利条約は、過去の反省の上に成り立っています。

例えば、ナチス時代の障害者が置かれた状況。ナチス・ドイツは、徹底してホロコースト(※第二次世界大戦中にナチスドイツによって起きたユダヤ人大虐殺のこと)を進めましたが、実はユダヤ人の前に、障害者を大量虐殺しました。その数は、わかっているだけで20万人に上るそうです。

当時、障害者収容されて虐殺された施設は、フランクフルトのハダマーという地域にあります。ナチス・ドイツは、たった7畳ほどの部屋に50人ずつ閉じ込め、昼夜分かたず殺りくを続けました。

私も以前、ハダマーを訪れましたが、施設の裏庭にある追悼記念碑には、「人間よ 人間を敬いたまえ」という言葉が刻まれていました。この追悼記念碑は、今後も永遠にこの場所に残り続けるでしょう。

障害者権利条約は「○○よりマシ」という考え方を好まない

国際条約は、通常、国同士の話し合いによって作られます。しかし、障害者権利条約を作る過程には、障害者団体も参加することができました。それは、当時の国連事務総長を務めていたコフィー・アナン氏が、障害者の間で広く知られている「私たちのことを、私たち抜きに決めないで」というスローガンを大事にし、当事者の声を懸命に聞こうとしたからです。

皆さんも、これから障害のある人に出会う機会がたくさんあるでしょう。その際は、ぜひ当事者の声に気づいて、寄り添ってください。

障害のある人の中には、自分の気持ちや考えをうまく表現できない人がたくさんいます。それでも、何を伝えたがっているのか、全身を耳にして聞くこと。これが、一番の基本だと思います。

国連では、障害者権利条約に基づき、定期的に各国の条約の実施状況を審査します。2022年に、日本の初めての審査が行われましたが、その評価は「日本は遅れている」という厳しいものでした。

前編でも少し触れましたが、私たちは、家族依存から脱して共同生活援助(障害者グループホーム)で暮らす障害者が増えている状況を「良いこと」だと思っていました。しかし、国連からの「グループホームは普通の暮らしの場ではない。赤の他人が5、6人集まって生活するなんてありえますか?」という評価を受けて、はっとしたのです。

障害者権利条約は、「○○よりマシ」という考え方を好みません。人々の暮らしは本来どうあるべきか、を絶えず追求します。障害のある人のこれからを考えるために、皆さんにもぜひ読んでいただきたいです。

政策が先、意識は後からついてくる

さあ、日本の障害者のこれからを考える時、どこにポイントを置くべきでしょうか。私は、次の2つが重要だと考えています。

1つ目は、同じ過ちを繰り返さないために、過去をしっかり振り返ること。
2つ目は、政策が先、意識は後という視点を持つこと。

私は全盲になる前、弱視でした。物がはっきり見えないので、オフィスに行く途中、放置自転車につっかかってよく転んだんです。ある時「よし、持ち主を待ってやろう」と思って、その場で待ちました。20分、30分。でも持ち主は現れませんでした。

そのことを話したら、イギリスの友人から「藤井、それじゃあダメだ。仮に持ち主が来て話ができても、君とその人の1対1のやりとりで終わってしまう。放置自転車を本当になくしたいなら、政策にするんだよ」と言われたのです。

駐輪場は充足しているか、巡回警備員はいるか、駐輪禁止の札が貼られているか。「人々は政策が先にあって、初めて気づく。そうすれば、多くの市民の意識が変わっていくんだ」と、彼は教えてくれました。

ヨーロッパが人権問題に成功したのは、問題を意識に矮小化せず、政策にしたからです。ここでいう政策というのは、法律や制度のことですね。

私は、日本にもそういう視点が必要だと感じています。障害者に特別な権利を求めているわけではなく、障害のない人と平等に暮らせるように法律や制度を整えてほしい。特に、家族依存からの脱却は、政策によって解決できる課題だと思っています。

気づく力を高めるためにできること

ここまでたくさんのトピックに触れてきましたが、障害のある人の今とこれからを考える上で最も必要なのは、気づく力だと思っています。気づく力を高めるために必要なアクションは、学ぶこと、つながること、伝えること、動くことです。

「学ぶこと」と一口に言いましたが、学びは「知ること」と「わかること」に分かれます。知ることというのは、その事柄について文字通り知識を得ること。今日の講演のテーマは「障害者問題の基礎知識」と言い換えられるとお伝えしましたが、皆さんはまさに今、障害者問題について知ろうとしています。

それから、わかることというのは、知識を得た上でもっと深掘りしてみよう、近い領域と比較してみよう、それが起こるまでの歴史を学んでみようなど、理解を深めていくことです。わかろうとする過程を経て、知識が自分の血肉になっていきます。

私は、皆さんにも、気づく力を高めていただきたいと思っています。その上で、深いヒューマニズムをたたえた企業になっていかれることを期待します。

「障害」のネガティブなイメージを晴らすためのヒント

最後に、私が障害当事者としてよく質問される2つの言葉についてお話ししましょう。言葉、あるいは言霊にこだわるHERALBONYにとっても、大事なテーマだと思います。

1つ目の言葉は、「障害」です。

もともとは、石へんの「碍」という字が使われていましたが、これが常用漢字から外れたことで、差し障るという意味を持つ「害」を使用するようになりました。

余談ですが、碍という字は象形文字で、大きな石を前にして首をかしげて困っている人、まさに障壁を前に困っている様子を表しています。

最近では、害を開き、障がいと書くことも多いですが、「ショウガイ」という音自体にネガティブなイメージがつきまとってしまっていることは否めません。では、障害に代わる言葉はあるのでしょうか?

ひとつのヒントとして、個人的には、「障壁の多い人」と言ってほしいという気持ちがあります。そういうイメージを、もっと短縮して表せる言葉があればいいですよね。

私はかつて、養護学校で教員をしていた時に、生徒のお母さんに対して「障害が重くて大変ですね」と、不用意に言ってしまったことがあります。その時、お母さんからは「重いという言葉は使ってほしくない。ニーズの多い人と言ってほしい」と言われました。

障害の重い人は、ニーズの多い人である。そのように捉えることで、政策の考え方や、現場での実践の仕方も変わってくるような気がします。

その活動は本当に「支援」か?

2つ目の言葉は、「支援」です。

支援自体は中立用語で、障害のようにネガティブなイメージはまとっていません。ただし、使い方を間違えると厄介な言葉だと思うのです。

例えば、B型作業所や生活介護事業所などに関しては、支援という言葉を使ってもいいと思っています。なぜなら、個人の生活を支えたり、可能性を引っ張り出したりする場所や活動を表す時に、支援に代わる言葉がなかなかないからです。

一方で、障害者が日常生活に困らないよう、社会の障壁を減らしていくことを支援と呼ぶのは、違うのではないかと思っています。それは、支援ではなく、誰もが平等に暮らしていくための当たり前の活動だからです。

障害者に関わる活動を全てひとまとめにして支援と呼ぶのではなく、個別の支援と、社会の障壁を減らす活動を別軸で見ていく。そして、その2つを両輪で進めていくことが大切なのではないでしょうか。

HERALBONYでは、支援という言葉をとりわけ慎重に使っているとお聞きしました。今後の活動の中で、「支援」を使う際は、今お話ししたことを思い出していただけたら幸いです。

登壇者プロフィール

藤井 克徳

ふじい・かつのり

1949年生まれ。青森県立盲学校高等部専攻科卒業。都立小平養護学校教諭、あさやけ作業所設置や共同作業所全国連絡会(現・きょうされん)結成に参加。現在、NPO法人日本障害者協議会代表、日本障害フォーラム副代表、きょうされん専務理事、日本精神衛生会理事、ヤマト福祉財団評議員、日本障害者リハビリテーション協会理事、陸前高田市ノーマライゼーション大使、明石市インクルーシブ条例検討委員会委員長。精神保健福祉士。著書に、「心の中から希望が切り離されないように」「障害者とともに働く」「えほん 障害者権利条約」など。