軍地彩弓さん「ヘラルボニーの次なる挑戦は、アートの民主化」(後編)

ヘラルボニーを応援してくださっている方々に話を聞きにいく連載「HERALBONY&PEOPLE」。この連載では、普段からヘラルボニーの活動やビジネスに共鳴してくださっているあらゆるジャンルの皆さんにインタビューをしていきます。アート・ビジネス・デザイン・福祉・文化、さまざまな領域で「異彩」を放つ皆さんにとって「ヘラルボニーとはどのような存在なのか」を伺います。

記念すべき第1回は「編集者からみるヘラルボニー」と題して、編集者でファッション・クリエイティブ・ディレクターとしても知られる軍地彩弓(ぐんじ・さゆみ)さんが登場。

ここ数年で「洋服を選ぶように、アートを買い求めるようになった」という軍地さんに、第3回では、実際に購入した一つの原画を通じて見えてくる「アートの民主化」について聞きました。

前編「ヘラルボニーは関わる人すべてを幸せにした」編集者・軍地彩弓さんインタビュー
中編審美眼は必要ない。編集者・軍地彩弓さんの「一生モノになるアート購入のすすめ」
後編:軍地彩弓さん「ヘラルボニーの次なる挑戦は、アートの民主化」→現在の記事

色彩の溢れる作品に惹かれる理由

ーー前回「コートを一着買うよりも、アート作品を一つ購入したくなった」では、ポップアップショップで衣笠泰介(きぬがさ・たいすけ)さんの原画「アフリカンドレス」を購入してくださった話を伺いました。ヘラルボニーの作家さんで衣笠さんの他にも好きな作家さんがいたら、教えてください。

軍地:たくさんいますよ。 岡部志士(おかべ・ゆきひと)さん、神山美智子(こうやま・みちこ)さん、菅原啓(すがわら・けい)さん、伊賀敢男留(いが・かおる)さん、他にも素敵なアーティストがいっぱい。

ーー色彩が鮮やかな作家さんが多いですね。

軍地:やっぱり親から名前に「彩」という文字をもらっているので、「いろどり」が気になっちゃうんですね。仕事もそういう仕事ですし、自分の人生に使命があるならそれは「世の中に色彩を伝えること」だと思っています。なので、選ぶ絵も自然と彩が豊かなものになるのかもしれません。

こう考えるのには、実は原体験があって。

2011年の東日本大震災の時のことです。当時、私は「VOGUE GIRL」という雑誌の創刊準備をしていて、その創刊日が震災の翌日3月12日だったんです。「もう雑誌なんか壊滅的に売れないな…」と落ち込んで、友達とボランティア活動に参加していました。

すると、そこに会社から突然電話がかかってきて。「雑誌があちこちで完売して、増刷しないといけない」と。メディアは震災の報道で溢れていて、どこへ行っても暗い話ばかりなので、たくさんの人たちが雑誌に「彩り」を求めたんですね。人の心には「彩り」が必要なんだな、と痛感しました。

これには後日談があって。

震災から3か月後、被災地を訪れていたんです。火事と津波で被災した街は一面タール色に覆われていっさいの色彩が失われていました。色彩が失われるーーそれが本当につらくて。その時、確か場所は釜石だったかな、真っ黒な地面から黄色い花が一本だけ、ぴゅーっとまっすぐ空に向かって咲いていたんです。それを見つけた瞬間、「彩り」で心がこんなに癒されるものなのかと思いました。その光景は私の心に強く刻まれました。

ーー軍地さんが色彩の豊かな作品を身のまわりに置かれている背景には、そういうエピソードもあったんですね。

「神様からのGIFT」がストレートに伝わること

軍地:衣笠さんや岡部さんのカラフルな表現に加えて、やっぱり異彩アートの、何からも制限を受けない自由な表現にはとても惹かれます。

この人たちは神様から特別な才能を与えられて、絵を描いているのだなあ、と。描かずにはいられない衝動に突き動かされて生まれる作品って、やっぱり作為的なものの何倍ものエネルギーを放っています。

障害のある方の生み出すアートには、「絵を描きたい」という純粋な衝動があります。アニメーション監督の宮崎駿さんはご自身のドキュメンタリーの中で「頭のフタが開いている」と表現されていましたが、こういうのってある種の「天啓」なのではないでしょうか。私たち一人ひとりも実は神様から「天啓」を受けているはずなのですが、それが理性という「頭のフタ」によって閉じられてしまっています。

知的障害のある方のアートは「天啓」がとても素直に表現されているところがすごいんです。だから、人に伝わる。神様から与えられたGIFT(才能)を絵という形で私たちが実際に見て、手にすることができるのは本当にすごいこと。それは障害ではなくて、かけがえのない美点であり能力です。

ーー自由に描かれているから、見る側も「こう見なくてはいけない」と囚われることなく自由に見られる。それも異彩アートの魅力だと考えています。

軍地:そうだと思います。私、実は中学生くらいからピカソやシャガールが大好きなのですが、彼らの作品を見ながらいつも疑問に感じていることがありました。

アートとそうでないものを区別する基準は何なのだろう、ということです。

その線引きはわからないけれど、確実に言えるのは、神様から特別な才能を与えられたGIFTEDな人たちが存在するということです。そこに「障害のあるなし」はまったく関係がない。そういう次元の話ではなく、彼らは「頭のフタ」が開いて才能が自由にのびやかに表出している「天才」なのだと、私は思っています。私が好きなアーティスト、ヘンリー・ダーガーもそういった種類の天才です。

そういう「異能への憧れ」は、自分の中にずっとあります。

ーーヘラルボニーは、彼らの才能を「異彩」と定義し、障害のイメージを変えることに挑戦しています。

ヘラルボニーは「アートの民主化」をやろうとしている

軍地:全3回にわたっていろんなお話をしてきましたが、ヘラルボニーがやろうとしてることは、「アートの民主化」だと思っています。閉じられた領域にあったアートを、デモクラティックに誰でも参画できるものにした。アーティストとしてのアイデンティティという意味でも、アートを所有するという意味でも。

第2回でお話したように、絵は一人しか所有できないけれど、それをいろいろな雑貨にすることで誰でも所有できるようにし、1を何千にも何万にも広げられる仕組みを生み出した。これがヘラルボニーのすごさではないでしょうか。作り手にも、見る側にも、アートに境界はないということを改めて教えてくれたと思います。

ーーまさに異彩アートがあらゆる境界をなくしていく「きっかけ」になって欲しいと私たちも考えています。

美術館に行くと、人垣ができている絵とそうでないものの差が歴然と存在します。有名な絵が時代を経ても色褪せずに人を惹きつけるのは、有名か無名かという以前の問題で、素晴らしい絵には人を惹きつける引力がある。そして、その引力の総量が、傑作といわれる絵の価値を高めていくのでしょう。

その意味では、権威的なアート業界が民主化する流れはすでに起きていると感じています。ヘラルボニーが出てきたことも、その流れとシンクロしているのではないでしょうか。

ヘラルボニーの絵を買っている人の中に、「障害のある方の絵だから」という理由で買っている人は少ないと思います。純粋にその絵が好きな人、その美しさを評価できる人が買っている。

ヘラルボニーが実現しようとしているのは、そういう平和な世界。この仕組みが海外でも今後流通していくと、いろんな価値の変革を生み出せる。そう信じています。