「普通じゃないこと」を悪とする社会は、優れた才能を潰す【池波志乃インタビュー|後編】

ヘラルボニーを応援してくださっている方々に話を聞きにいく連載「HERALBONY&PEOPLE」。この連載では、普段からヘラルボニーの活動やビジネスに共鳴してくださっているあらゆるジャンルの皆さんにインタビューをしていきます。

第6回は、女優の池波志乃(いけなみ・しの)さんが登場。後編では、アートや美術の世界に造詣の深い池波さんに、アートの楽しみ方、そして「普通じゃない」ことが叩かれがちな時代に異彩を放つことについて、お考えを伺います。

>>前編はこちら:あの日、夫・中尾彬さんと車窓から見た景色。「障害者の応援」ではなく、作品に共鳴する理由

優れた作家はみな「異彩」で「異端」で「最先端」

取材が行われたのは、今年3月にオープンしたヘラルボニー初の都内常設店舗「HERALBONY LABORATORY GINZA」にて。企画展「異彩を放つ」Vol. 1(5月12日に終了)で、池波さんは作家・鳥山シュウの作品「銀座」をしばしの間、眺めていらっしゃいました。

――美術館やギャラリーでは、このようにひとつの作品をじっくりと観ることが多いですか?

池波:そうですね。中尾(彬)さんと展覧会に行くと、観終わるまでに3時間くらいはかかるのがざらでしたね(笑)。じっくり見ていると、いろいろと気になるものが絵の中に見つかるんです。例えば、この絵には金魚がたくさん描かれていますね。何か銀座に関係するのかしら? (絵の中を指さして)あっ、ほら、ここにも金魚がいた……。作家さんの目には銀座という街が、このように見えているのかもしれない。そう思うと、面白いですよね。
鳥山シュウ「銀座」
――池波さんはとても自由に作品を楽しんでいらっしゃるんですね。日本ではまだまだアートの敷居が高く、どのように観ていいのかわからない、という人も意外と多いです。

池波:作品について「わかる」「わからない」ということを、あまり気にしなくていいと思います。

私は自分のことを凡人だと思っているんです。一方、芸術家や作家は、感性にしても表現にしても優れすぎている存在。とても凡人には理解できない領域をもっている。

アンディ・ウォーホル、岡本太郎さん、草間彌生さんなど、今は世に価値が認められている優れた作家であっても、世に出たばかりのときは「変人」扱いされてきたでしょう。なぜなら、凡人のほうが感性が追いついていないから。優れた作家ほど、はじめは「異彩」で「異端」。それはつまり「最先端」にいるということ。ヘラルボニーの作家さんたちも同じではないでしょうか。だから凡人が作品についてわかろうと思ったって、どうせすぐにはわからないんですよね(笑)。

アートを観て感じたことは、自分の財産になる

――現代には、TVや映画、ネット動画などさまざまなコンテンツが溢れています。そんな中、いまアートというコンテンツを味わうことの意味は何だと思いますか?

池波:
TVや映画などは、創り手たちが「こういうもの」と創り上げた世界やメッセージを、受け身で楽しむもの。対してアートは、鑑賞者が主体となって自由に感じ、自由に解釈できるものです。その自由さが面白いし、鑑賞の過程で自らの感性を高めることもできると思っています。

こうやって絵を観ていても「この絵、なんだか好きだな」「これ、なんだろう。気になるな」と感じるものがあるでしょう。そのうちに自然と「なぜ私はこれが気になるのかな」と考え始めるかもしれません。「この色に惹きつけられているのかな」「この組み合わせが好きなのかな」……。

その感覚に正解はなく、100人いたら100通りの感じ方がある。「だから私はこれが好きなんだ」と、じわっとした感覚がもたらされたのなら、作品と共鳴したということ。たとえ作家さん側にそのような狙いがなかったとしても、自分が感じたことは財産になります。

特に抽象画や現代アートは観る側が自由に観て、自由に感じることをしやすいという点で「凡人が参加しやすい」ジャンルではないでしょうか。「異彩」が放つ感性のかけらを自分なりにキャッチして、自分のなかで自由に膨らませることができる。ヘラルボニーの作家を含めて、非凡の作家たちの作品というのは、観る側の感性を刺激して、鈍っていた感覚を呼び起こしてくれる。だから「自分磨きをするならヘラルボニー」ですよ(笑)。

異彩を潰す時代では「次の志ん生」は現れない

――池波さんが出会ってきた人たちのなかで「異彩」というと、どなたが思い浮かびますか?

池波:たくさんいます。現場でご一緒した、名のある監督さんはみなさん独特のオーラがありましたが、そのオーラこそが「異彩」だったのでしょうね。

あと、うちのおじいちゃん(5代目古今亭志ん生)は異彩を放っていましたね(笑)。ただ、現代に志ん生がいたら、間違いなく叩かれて、才能が認められる前に消えていたと思います。大河ドラマ『いだてん』(池波さんの祖父・志ん生を、森山未來さんとビートたけしさんが演じた)にも登場したエピソードですが、関東大震災発生時「東京中の酒が、みんな地面に吸い込まれちまう」と考えて、金を握りしめて酒屋へ直行した人ですからね。今なら「常識がない」と言われて、叩かれて終わりではないでしょうか。よく記者の方に「志ん生のような噺家はもう二度と出ませんね」と言っていただくのですが、それはみんなが寄ってたかって潰すからでしょう。

――そう思うと、現代は「異彩が潰されやすい時代」とも考えられますね。

池波:そうですね。芸事の世界に限りませんが「みんなと一緒でないと許さない」と叩かれ、暴力的なまでに潰されてしまうのは不健全です。それによって、人とは異なる優れた感性を持っている人が、自分の力を発揮できないのは、残念ですね。

とにかく現代では潰し合い、足を引っ張り合ってしまいがちなのですけれど、作家さんたちにはその「潰し合い」から距離を置いて、自分の感性や自分の表現を大切にしていただきたいですね。

着用アイテム