色が聴こえる。希望を与える。田﨑飛鳥作品は心を描く。「聴く美術館#18」

この春スタートした福祉実験カンパニー・ヘラルボニーの契約アーティストにフォーカスするポッドキャスト「HERALBONY TONE FROM MUSEUM〜聴く美術館〜」。

俳優・映像作家・文筆家として活躍する小川紗良さんと、ヘラルボニーの代表取締役社長の松田崇弥(たかや)が聞き手となり、アートに耳を澄ませながら、作品の先に見えるひとりの”異彩作家”の人柄や、これまでの人生に触れていきます。

今回のゲストは、岩手県・陸前高田市にお住まいの異彩作家・田﨑飛鳥(たざき・あすか)さん。作品を「心で描く」と表現する飛鳥さんが、震災を通して見出したアートの力とは。そして、被災を経験して父の實(みのる)さんがヘラルボニーに願うこととは。

#色が聴こえて響き合う

小川:今日はどんな方が登場するんでしょうか?

崇弥:はい本日は、ヘラルボニーの誕生の地、岩手県の陸前高田から田﨑飛鳥さんにお越しいただいております。飛鳥さんの絵は、色とりどりの木々がわーっと集まっているような作品など、どの作品も本当に評価が高いんです。

小川:森の中に数本とカラフルな木とまっすぐな道が伸びていて、その木の枝が複雑に入り組んでるんですけど、でも一本一本、輝いてるというか、本当に生命力あふれています。

Asuka Tazakii「森の道-赤い森-」

崇弥:生命力あふれる。まさにです。岩手本社がある薬王堂っていう東北でも大きなドラッグストアチェーンで、コラボTシャツなどで商品化されたりとか、ラッピング電車になって岩手を走るなど、もうスーパースターです。たくさんお話を伺いたいです。

小川:楽しみです! ということで、田﨑飛鳥さん、そしてお父様の實(みのる)さん、そして今日はヘラルボニーの丹野晋太郎さんにリモートで繋がっています。よろしくお願いします。

實さん:よろしくお願いいたします

小川:田﨑さん、初めまして。

飛鳥さん:お願いします!

崇弥:飛鳥さん、さっそく薬王堂のTシャツを着ていらっしゃいますね! こちらの絵について、少し教えていただいてもいいですか?

 

飛鳥さん:クマノミね、クマノミ。

崇弥:クマノミね!

小川:かわいいクマノミが描かれてる!

飛鳥さん:ヒラメ。

崇弥:ヒラメね! 

小川:素敵ですね〜! 今日いらっしゃるのはご自宅ですかね? 後ろに原画が飾ってあるんですけど、それも素敵です!

實さん:ここは、みんなで集うところを兼ねてるギャラリーなんですけども、本当に夢だったんです。私たちに協力してくれる方々がたくさんいらっしゃいまして、そんな方々からの援助で出来上がったもので。皆さんが集えるように、スロープまでつけてあるんです。私としてもやってよかったなと思います。障害の方も気楽に集えるようにという思いが叶った、そういう場所なんです。

小川:田﨑さんだけじゃなくて、いろんな方がそのギャラリーに集まっているんですか?

實さん:ご近所の方々、それから障害のある方が皆さんが集ってくれていますね。家内のやっているパン屋の工房があるので、理想としてはそこのパン屋で買ったパンを食べながら集まってもらったらいいなぁと思っています。

崇弥:いいですね〜!

小川:そこに集まったときは、皆さんいつも何をされてるんですか?

實さん:近所の方は世間話なんかしているんですが、障害のある方は「ここにいる障害がある人たちは、自分たちと同じ気持ちだよね」と楽に話せる場所として集ってくれてるんですね。市でも障害がある方が集う場所は確保してあるんですが、「なんか行きづらいんだよね」という声も多いんです。

小川:なるほど、そういう過ごしやすい場作りの中でも、この田﨑さんの絵があるっていうのも大きいんじゃないかなと思いますけど、どうですか?

實さん:「ここへ来るとゆっくりできるんだよね」「いつまでもいたいんだよね」とおっしゃってくれる方、多いんです。本当に良かったなと思っています。

崇弥:ちなみに(丹野)晋太郎さんはどうですか? 実際にご家族とギャラリーでご一緒する機会が多いと聞きます。

丹野:私も陸前高田出身と同郷ということもあって、このギャラリーに伺う機会がちょこちょこあるんですが、いつもお母さんからパンをいただいたりとか、ちょっとコーヒー飲みながらお喋りさせてもらったりとか、本当に安心できる場所だなと感じています。

崇弥:いつもうちの社員もすごくお世話になっておりまして。2023年7月ヘラルボニー5周年を記念して盛岡で開催された「異彩の感謝祭」にも参加いただき、ありがとうございました。お父さんから見て、ヘラルボニーはどんな感想をお持ちなのかなと。

實さん:こちらこそありがとうございました。なんだか楽しいひと時でした。もともと私たちは飛鳥の作品が額縁の中で楽しんでもらえればよかったなというか、それによって飛鳥が社会参加できて、見てくれた人が絵の中に入り込んでくれて、楽しんでもらえればというところで終わってたんですけども、ヘラルボニーさんがもっと別な展開をしてくれて、身近なものにする道を開いてくれて、本当に感謝しています。障害のある人たちも個性があって、素晴らしい感性を持っていて、それを身近なものに展開して楽しんでもらうという形は、障害のある人たちの社会参加のあるべき姿だと思っています。

崇弥:ありがとうございます!

小川:作品そのものももちろん素晴らしいけれど、服とかバッグとか、そういう身近に使うものにその絵があると、やっぱり使う側にとっても心に、暮らしに、沁みてくる感じがしますよね。

崇弥:飛鳥さんの絵は、クレジットカードの券面デザインにも大きく使われていますし、先日はJALの三沢空港の階段に、ガーッと大きく飛鳥さんの絵が展開されていました。本当に飛鳥さん、いつもありがとうございます。

(飛鳥さん、お辞儀)

小川:あ、お辞儀してくださってる!

崇弥:飛鳥さんはいつもどんな気持ちで描かれているんですか。

飛鳥さん:(小さい声で答える)

實さん:「心」って言ったんだよね? 飛鳥は「心で」というのを日常生活の中で使うんですね。

崇弥:心で描いてるっておっしゃったんですね。素敵!

實さん:いつだったか、記者の方に「(飛鳥の)好きな絵と一緒に写真撮らせてくれ」ってことで、何を描いてるのか聞かれたときにズバッと「心です」って言っていて。

崇弥:なんか、すごいなぁ。

實さん:「えーっ! アートわかってたんじゃん!」って思ったんですけれども、普段の生活の中でも「感謝しなさいよ」とか「心でものを聞きなさい」「心でものを食べなさい」とか、意外と「心で」と言うんですね。それに繋がっているのか、色彩も「なんでこんな色使うの?」ってことがあるんですけども「色は聞こえてくるんです」って言うの。

小川:へーっ!

實さん:だから(飛鳥にとっては景色を)再現しようっていう気持ちじゃないんですね。心の中に響いてくる色を使ってるっていう。初めは普通の茶色で始まったんですね。アタリを取るような感じで。はじめはまっすぐな道だけだったんですけど、途中から突如、ピンクに変わりました。次はどうなったかっていうと、赤い木に変えて、ブルーの木を入れて、どんどん変わっていくんですね。

崇弥:うんうん。

實さん:ちょっと面白いのが、赤い森のときには木々の間をどうやって埋めるかずいぶん迷ったみたいで、最後にブルーを細い筆で間を埋めてみたら、すーっと何か空間が抜けたんで、本人は納得できたみたいなんですけど。そういうふうに、どんどん展開していく。それが自分の心に聞こえてくる色でつけているもんですから展開してるんですね。だけど最後の方になってくると、色が不思議とお互いに響き合ってくる仕上がりになっている。あ、なんか響き合ってきたなって、私にもわかるんですね。そばで見ててもすごい楽しいです。

崇弥:飛鳥さん、色には、心の声があったりするんですか。

飛鳥さん:えぇ。

飛鳥:どんなふうに聞こえてくるんですか?

飛鳥さん:心が聞こえてくる。

小川:心が聞こえてくるんだ。

崇弥:すごいね。

實さん:アクリル絵の具で描くんですが、たくさん種類があるんですよ。筆もかなりの量で。自分で色の濃度を調整するのは難しいので、私が絵の具を溶いてあげるんですけども、いざ描き出すとなると、色を指定してくるんですね。さっ、さっと迷うことなく「この色がいい」と。どこでどの色を使うのかは、私にもわかりかねますし、言葉で表すのが難しいんですけど、飛鳥の心にはたぶん色が聞こえてきてる。だから林や海の色を見たまま再現するのではなくて、心の中の林の色を自由に選択できちゃう。そんな世界なのだと思います。

小川:林の原風景っていうのは、小さいころはよく林とか出かけていたとか、見てたものがあるんですか?

實さん:林だけはちょっと違いまして。東海新報という地元紙に、写真とか絵が入るちょっとしたコーナーがあるんですが、そこに載っていた林の中の陽だまりをテーマにした写真にすごく反応したんですよ。それで「林を描いてみようよ」と。震災後、いろいろ絵を描いてきたなかで「道シリーズ」もできたんですよね。真っ直ぐな短い道を描いたものです。

Asuka Tazaki「夕焼けの道」

崇弥:あれは本当に素敵ですよね!

實さん:高田の町が将来どうなってほしいか聞いたら「花いっぱいの街になってほしい」と言っていて、まっすぐな道に、お花畑をたくさん描いたら、「希望を感じるね」と見た人が言ってくれて、飛鳥はこういう形で社会参加できるんだなと。それならいろいろ描いてみようと林を描き出したんですね。なので林は新聞にあったちょっとした写真から生まれましたが、普段は見たものを記憶して書いています。

小川:林の絵の横にカニの絵もちょっと見切れているんですけど、これも見たものなんですよね?

飛鳥さん:うん。はい。

實さん:秋田に旅行したことがありまして、男鹿の水族館に入ったんですね。そこでタカアシガニが片足を壁に引っかけるような感じで、こう、猛々しいポーズをとってたんです。「飛鳥、あれ面白いね。いつか描こうね」と。いざ描きはじめたら、片足をあげているポーズのあとに描きこんだ目が、すごく優しくなっちゃってて。飛鳥はあのカニを猛々しい感じだとは見ていなかったんだなと

小川:違う見え方だったんだ。

實さん:それで「あそこに(カニの)家もあったよね」ってボール紙を切って貼り付けてあるんです。そこからどうなるんだろうなと思ったら、やっぱりカラフルになっていて。実際に見た岩は黒っぽかったんですけど飛鳥の中じゃこんなカラフルな家になっていました。

崇弥:すごいねぇ。新しい色彩があるんですね。

實さん:そうなんです。色彩の世界があるんですね。見たものそのものを再現するんじゃなくて、自分の中にある風景、自分の中のカニを再現しているんです。だから、なにか見ても大喜びするんじゃなくて、さっと見るだけなんです。でも、後で「あれ面白ったから描いてみよう」と描きはじめると記憶があるんですね。自分の記憶として描いているから、自由にいろいろ形も色も変化している。

#震災が変えたもの

崇弥:ヘラルボニーギャラリーでは飛鳥さんの個展をやらせていただきましたが、東日本大震災は飛鳥さんの作風においても一つ大きな契機だったんじゃないかなって思うんです。人がね、流れている様子の絵があったり、陸前高田の「奇跡の一本松」みたいな絵があったりとか。震災は、飛鳥さん自身にはどういった影響を実際与えたんですか?

實さん:(飛鳥さんへ)震災、怖かった?

飛鳥さん:……はい。

實さん:大きく変わったっていうと、やっぱり東日本大震災ですね。それまでは身近な道具で描いてたんですけども、震災を経験して「どうなるんだろうか」っていう気持ちがすごい強かったんですよね。避難所で家が流されたっていうことを教えたときに急に「おうちに帰りたい」と言い出して、その夜は吐いて、熱も出しまして。一週間後くらいだったかな? 保険の申請のために家の跡地を見に行く必要があったんです。

崇弥:うん、うん。

實さん:そしたら、絶対に家の跡を見ようとしないんですよ。「絶対に家の方を見るもんか」といった感じで、山の方に体を向けていて。飛鳥がこんな厳しい表情をしていたのは初めてで、ずいぶんショックだったんだろうなと思いました。そこから立ち直れたっていうのは、アートの世界のおかげだと思うんですよね。避難所生活してる間に、るんびにい美術館の三井さんが訪ねてきてくれまして。

崇弥:ヘラルボニーを作るきっかけになった、花巻のるんびにい美術館の三井理事長ですね。

實さん:そうです。三井さんが「選抜展があるんだけども、飛鳥くん、こういうときだから難しいかもわからないんだけど、もしできたら描いてくれないか」と。そう問いかけられたんです。でも避難所生活ですから、何もないですし、すべて流されましたから。そしたら「自分たちで用意するから」とキャンバスから筆まで全部、用意してくれたんです。それで飛鳥に「どうする?」と聞いたら「描く」と。

崇弥:うん。實さん:町内会の人たち63世帯の中で、23人の方が亡くなりまして、いつも声をかけてくれていた同じ班の方も10人亡くなってしまいました。飛鳥にとってもつらい思い出だと思うんですけども、その人たちはみんな天国にいると思うから、描いてみたらと。そうして震災後初めて描いたのが「星になった人々」でした。

Asuka Tazaki「星になった人々」

實さん:だけど、驚いたことに全然違うんです、震災前の絵と。こんなに激しく描くのかっていうね、ぶつけるような描き方でしたね。一気に描き上げて、津波に対してはすごく怒りを持ってるんだろうけども、明るい感じの黄色もあって、亡くなった人たちに対し祈る気持ちがあるんだろうと思いましたね。その後は「森の家族」をリメイクしたりなどありましたが、以前と違う色、描き方は5、6作は続きました。

小川:あぁ。

實さん:6作目を過ぎたあたりから、少しずつ震災前の優しい色に戻ってきましたね。いろいろ経験したことを飛鳥はうまく話せないので、絵にぶつけている。絵にぶつけてみて、少しずつ少しずつ、気持ちが整理されてきた。だから飛鳥にとっちゃ、絵を描くことっていうのは、言葉の一部であり、生活の一部。そして飛鳥の中の一部だと思いますね。震災は本当に飛鳥を大きく変えたきっかけだと思います。

崇弥:ありがとうございます。

小川:飛鳥さんの感情のあり方が本当に絵に表れているんですね。

崇弥:晋太郎さんもね、飛鳥さんから「しんちゃん」って呼んでいただいたりする仲で、いろんな思い出が今まであると思うんですけど、楽しかったこととか、何か伝えたいこととか、ありますか?

丹野:直近では「全国植樹祭」というイベントで子供たちがダンスを披露する機会がありまして、その衣装のプロデュースをヘラルボニーでやらせてもらったんです。そこで使用させていただいた作品の一つが、まさに飛鳥さんの作品でした。しかもイベントの会場は震災当時あった高田松原という場所(編集部注:高田松原は美しい松林で知られる景勝地でしたが、津波によって土地の大半が失われました)近くの道の駅でした。同じ出身地であることはもちろんわかった上なんですけど、仕事でこんな風にご一緒できるとは思いませんでしたよね。もしかしたら震災前に街中ですれ違ってた可能性もありますが、当時はお互いのことを認識できてなかったわけで、今ご一緒できているのは縁を感じますす。今は僕が直接の担当ではないんですが、他のお仕事でも僕が企画をして、ご一緒できるような機会をどんどん作っていきたいなと思っています!

 

崇弥:子供たちがダンサーとして飛鳥さんの衣装をまとい、天皇陛下も観ていらっしゃる中で踊るというすごい素敵なイベントだったんですよね!

小川:あの木々たちが踊り出したらすごい素敵な光景だろうな!ラッピングの電車も見てみたいです!

崇弥:ラッピング電車ね! JR東日本さんと「岩手東北を元気にしよう」というコンセプトで、2023年の秋ごろから約2年間もですね、釜石線のまさに花巻から釜石間、花巻から盛岡駅間の2路線が2デザインでラッピング車両になっています。まさに木々が躍るように走りますね。楽しみ!

 

小川:本当に楽しみ! アートファンの方にとってもたまらないですし、鉄道ファンの方もたまらないですよね。今イメージ画像を見ていますけど、これが走ってたら絶対素敵。

崇弥:飛鳥さんどうですか? 電車、乗ってくださいね!

飛鳥さん:乗りたい。

崇弥:ぜひ何回でも乗っていただけたら嬉しいなと思います。

 

小川:ちなみに、飛鳥さんはこれからヘラルボニーでやりたいこととか、ありますか?

飛鳥さん:あぁ、うん。これからも続けたい。

實さん:これからも続けたい。

崇弥:ありがとうございます。

小川:私も続いていくのを見ていきたい!

崇弥:これからもガンガンご一緒すると思うんですが、よろしくお願いします!

小川;アートが地元に根付いてるっていうのがすごく素敵だと思いました。ありがとうございます。

實さんの願い

實さん:崇弥さん、一ついいですか?

崇弥:はい。

 實さん:ここ高田のことで、ちょっと手助けしてほしいっていうか、お願いしたいことがあります。さっき震災でうちのいろいろなものが変わったと言いましたけども、高田町全体も大きく変わった中で忘れてはいけないこととして、あの日、障害のあるの方々が町から消えたというのがあります。それをテーマにした映画もあるんですけども。なぜかというと、障害者と健常者の間に分厚い壁があるっていう。この間の異彩の感謝祭でも、文登さんがちらっと「なかなか自分たちの想いが届かないんだよね」っていうことを漏らしていましたが、自分たちもすごくそれを感じてるんです。あの震災のとき、なぜ障害のあるの方々が消えちゃったのかっていうと、どうしても他の人たちに迷惑かけたくないという気持ちがあったんです。だから一歩引いちゃって、自分たちが我慢すればいいんだと。

小川:あぁ……。

實さん:避難所では、はじめは皆さんちゃんと受け入れてくれて「助かってよかったな」みたいな感じだったんですけども、やっぱり障害のある人人たち、パニックになっちゃいまして。ちょっと歩き回ったり、ちょっと大きな声をだしたりするんですね。そうすると、周りの人たちがしかめっ面したり、眉間にシワを寄せたりして、やっぱり我慢しきれなくなっちゃう。そうすると、障害のある方々も迷惑をかけたくないから、一歩引いて家にこもっていようと。そんなことで町からいなくなっちゃったんですよね。

崇弥:うん、うん。

Asuka Tazaki「奇跡の一本松」

實さん:この町は市民憲章の中にも「ノーマライゼーションという言葉のいらないまちづくり」と掲げているんですけど、障害のある人たちも健常者の人たちも互いに一歩引いちゃってどうしても、歩み寄りがないように感じます。だけども、ヘラルボニーさんのように身近なものでその障害のある人たちを感じてもらえる。さらに私たちのように地域の繋がりから一歩出でると、もっと大きく全国に繋がっていくことができるんですよね。だから、崇弥さんたちが「皆さん、こうやって一歩出てみようよ」っていうふうに呼び掛けてくれたら、アートを通じて皆さんも一歩出てくれる。本人だけじゃなく家族も踏み出さなきゃいけないから大変なんですが。もう一つ現状をお伝えしますと、国からの要望で業務で障害のある人の個別避難計画を立てなさいというのがあるんですよね。それを市の方が全部受けてやってるわけですけども、高田の場合対象者が220人なんですよ。だけど、個別避難計画が出来上がってるのが、なんと7人しかできてないんです。

崇弥:えぇ、それだけ……。

實さん:さらに障害者手帳を持ってる人たちっていうのは1,100人以上いるんですね。その中でもハザードマップでイエローゾーンに住んでる人だけ220人だけを対象に避難計画を進めてるんですけれども、7人しか進んでいないのはね、介添いの方2名をつけなくちゃいけないという条件があるもんで。何かあったときに手助けしてくれるって、普段の生活で身に付いてる必要がありますよね。地域に障害のある人がいて当たり前の生活が出来上がっていれば、こんなことはないと思うんですけど……。それを何とかできる一つの力として、アートは大きいんじゃないかなって。だから崇弥さんたちも、もしできたら「皆さんが家族で一歩出れば世界は違ってくるんですよ」と言ってくれたらなと思っています。

崇弥:あぁ、ありがとうございます。おっしゃる通りで、やっぱり地域で生活すると考えたときに、地域の人の理解っていうものがなければ成り立たないというのは強く感じています。なので、自分たちもあえてご家族が行きづらいんじゃないかなと思う百貨店みたいなところにあえて出店するなど、そういうところをすごく頑張ってるわけですけど、確かにその作家本人だけじゃなくご家族全体が前に出ていくっていうこともね、後押しできるような活動まで広げていけたらいいなって思いました。ぜひ飛鳥さんもねとかもね、フィーチャーさせていただきながら、一緒に活動できたら嬉しいです。

實さん:そうですね、

小川:このポッドキャストもまさに、こうやって今日も田﨑さんのご家族にお話していただいて、今までもいろんな家族の方が一歩前に出て、そのお話に力をもらってる方がたくさんいらっしゃるので、その活動の一環になっているんじゃないかなって思いますね。

崇弥:そうですね、コミュニティラジオ的な存在になれればいいですよね。

小川:今日はアートの話だけじゃなく、震災のお話も含めて、本当に貴重なお話を聞かせていただいてありがとうございました。

實さん:ありがとうございました。

text 赤坂智世

田﨑飛鳥Asuka Tazaki

陸前高田市在住。彼は生まれながらにして、脳性麻痺、知的障害がある。幼いころから絵本や画集に興味を持ち、彫金作家である父、實さんの勧めで絵を描き始めるとその才能は伸びていき、アート展では賞を受賞するまでに。東日本大震災の津波により、自宅、今まで描いてきた約200点の絵、親しんできた豊かな自然とそこに住む人々…かけがえのない大切なものを一瞬で失い、あまりの衝撃と悲しみから、ショックで一度は筆を置いてしまったが、父からの言葉で、再び筆を取り壮絶な経験を経て今まで多くの観る人の心を動かす。

『HERALBONY TONE FROM MUSEUM〜聴く美術館〜』は無料で配信中

「アートから想像する異彩作家のヒストリー」をコンセプトに、アートに耳を澄ませながら、作品の先に見えるひとりの”異彩作家”の人柄やこれまでの人生に触れる番組です。
役者・映像作家・文筆家として活躍する小川紗良さんと、ヘラルボニーの代表取締役社長の松田崇弥の2名がMCを担当。毎回、ひとりのヘラルボニー契約作家にフィーチャーし、知的障害のある作家とそのご家族や福祉施設の担当者をゲストにお迎えしています。
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