「才能をつぶさない才能が必要」平熱先生と考える、こどもの『異彩』の見つけ方

現在開催中のアート展覧会「HERALBONY Art Prize 2024 Exhibition」。開催を記念したトークセッションが8月24日(土)に都内で開催されました。イベントに登壇したのは、X(旧:Twitter)フォロワー9.5万人、主に知的に障害のある子どもたちが通う「特別支援学校」で10年以上現役の先生を務める平熱先生と、HERALBONY 共同代表の松田崇弥。モデレーターは、HERALBONY JOURNAL編集担当の海野優子が務めました。

「平熱先生と考える、こどもの『異彩』の見つけ方」をテーマに繰り広げられた、トークセッションの様子をお届けします。

世界11カ国、全62作品が集結する展覧会を三井住友銀行東館アース・ガーデンにて開催中

実物のほうが5000倍いいです

松田:今日は平熱先生とお話ができて、とてもワクワクしています。ついさっき、突然「平熱です!」とエレベーターホールで声をかけられたときも「おお、この方が!」ってテンションが上がりました(笑)。

平熱:基本的に顔出ししていないので、「こいつが!」ってなりますよね。みなさん、僕はご覧の通りギャルなので、SNSに投稿するときは「金髪超似合ってた」とか「赤いネイル可愛かった」と書いてください。「普通のおじさんだった」だけはやめてくださいね(笑)

松田:ははは。平熱先生はイベントの前に、展覧会にも足を運んでくださったんですよね。

平熱:はい。グランプリの作品も拝見しました。スクリーン越しに見るより5000倍かっこいいので、直接見ることをオススメします。

海野:まず「平熱先生と異彩作品を見てみよう」ということで、展示作品の中から2つの作品をご紹介します。この2作品の作家は、あることがきっかけで異彩が芽生えたというエピソードを持っているんです。

浅野 春香 / Haruka Asano「ヒョウカ」(2024)画材:ポスカ、米袋 サイズ:960×1640mm
海野:グランプリを受賞した、浅野春香さんの「ヒョウカ」です。30キロの米袋の上に描かれた作品で、満月の夜の珊瑚の産卵がテーマとなっています。浅野さんがお母様のお腹の中にいた記憶や、珊瑚の研究者であるお父様、大切なご両親からインスピレーションを受けて誕生した作品です。

松田:すごく大きな作品なんですよ。制作期間に7ヶ月かかったそうです。7ヶ月間、とんでもなく緻密なものをコツコツと作業する姿を想像すると、積み重なった時間の重さを感じられると思います。実はこの作品、たくさんの珊瑚とともに、実は闘病中のお父様への熱い思いが込められていて、作中に「お父さん」が隠されているんです。

平熱:隠れお父さんがいるんですか!?

松田:そうです。絵の下の部分、米袋が重なっている部分を少しだけ開いて覗くと、そこに隠れミッキーのように存在しているので、ぜひ探してみてください。

言葉より先に、人を見る

海野:20歳で統合失調症を発症した浅野さんは、入退院を繰り返しながら、闘病を続けてきました。本格的に絵を描き始めたのは29歳。受賞作品のタイトルである「ヒョウカ」は、浅野さんの「評価されたい」という純粋な感情を解放できたことからきているそうです。平熱先生は、日々、特別支援学校の生徒たちと接する中で、子どもたちの「評価されたい、褒められたい」という感情とどのように向き合っていらっしゃいますか?

平熱:質問の回答になっていないかもしれませんが、安易に褒めないことを意識しています。よく巷に「褒めワード100」みたいなのが溢れているじゃないですか。僕は、それを1から100まで覚えることがいいとは思っていなくて。そのワードで喜ぶ人もいれば、喜ばない人もいると知っていることが大事だと思うんですよね。

目の前の人が、どんなときに褒められたいのか、どんな言葉で褒められたいのかを考える。考えた結果「褒めない」のがいいときもあるでしょうし。そういうのも含めて、「この人をどうしたら喜ばせてあげられるだろうか」とか「この人はどんな気持ちを受け取りたいんだろうか」と、考える。その人をちゃんと見ることが大事だなと思います。

才能をつぶさない才能

海野:ありがとうございます。それでは二つ目の作品を見ていきましょう。紹介するのは、「トヨタ自動車 賞」を受賞した、澁田大輔さんの「クジラの群れ」という作品です。

澁田 大輔 / Daisuke Shibuta「クジラの群れ

海野:澁田さんは、高校1年生のときの担任の先生がきっかけで、創作活動を始められました。先生は、言葉での表現が苦手な反面、絵や文字を描くのが得意だという澁田さんの特性に寄り添ってくださったそうです。

油性色鉛筆で描くことについても、線を失敗しないことや、筆圧の安定性などを先生が褒めたことがきっかけでその画材を使用するようになったとか。絵を通じたコミュニケーションを通して、いつしか描くことが澁田さんの心の安らぎや居場所になったといいます。

松田:学校の先生が創作のきっかけを作ってくれたという作家さん、実は今回の受賞者の中にも多いんですよ。これまでの出会いを振り返ってみてもそうです。例えば、小林覚という作家は、字と字をつなげて描いちゃうんです。

作家・小林覚さんの作画風景

松田:むしろ、つなげないで普通に描くことができない。養護中学校中等部の頃はそれをなんとか直せないだろうかと先生たちが苦心していたようなのですが、高等部で出会ったある先生が「面白い」と。自由に描くことを勧められてから「サトル文字」と呼ばれるようになり、彼はアートの世界に羽ばたき始めた。そういうことがあるんですよね。

平熱:僕が美術の授業に入ったとき、絵を描くのがものすごく遅い女の子がいました。周りの子たちは2時間で完成させるのに、彼女は2時間経っても半分にも到達しない。さらに、大量の絵の具を使う。僕にはそれがとても非効率に見えたんですよね。だけど、美術の先生は「この子はいっぱい考えて、今からどんどん絵を重ねていくから、こちらの都合で時間や絵の具について言わないであげようね」と。結局、みんなより4、5倍の時間をかけて、大好きな恐竜の絵を完成させました。そして、その次の年に障害のある方たちの雑誌の表紙を飾りました。全国紙の。

松田:へぇー!

平熱:「サトル文字」を直すか、面白いと自由にさせるかという話にも繋がると思うのですが、ダメとかムダとか、社会的な意義というのは、その人の偏見にすぎないですよね……。僕らは、才能をつぶさない才能を持つことが必要なんだと思います。僕も、あの美術の先生の言葉で、自分の中に「これはムダ、価値がない」という曲がった、偏屈なものの見方があることに気づくことができて、とても勉強になりました。

「異彩」が誕生した理由

海野:育つ環境や、才能をつぶさない才能を持った方に出会えることが重要だなと感じました。ここからは「異彩」について考えていきたいと思います。まず、崇弥さんからヘラルボニーの「異彩」の定義について教えていただけますか?

松田:はい。ヘラルボニーは「異彩を、放て。」をミッションに掲げています。「異なる彩り」と書きます。重度の知的障害を伴う自閉症を持つ4つ年上の兄と暮らす中で、幼い頃からいろいろな疑問を感じ、障害のイメージを変えたいと思っていました。そして、私が24歳のとき、知的障害のある方たちのアート作品を見る機会があって、本当に感動したんですよね。

個性豊かな彼らの作品の、何かに没頭し、それを繰り返す力の面白さに魅了されました。

だけど、この魅力を発信するときに「知的障害を、世に放て」ではないだろうと思ったんです。もっと社会が取り上げたくなるような言葉に変えられるはずだと思ったとき、浮かんできたのが「異彩」でした。

平熱:才能の才ではなく、彩りなんですよね。

松田:はい。これは悪い例えとかではないのですが、ある同じ作品が、役所の一角に保育園児の作品と一緒に並んでいるのと、百貨店のど真ん中で展示されているのでは、ちょっと意味が変わってくるし、受け取る側の価値も変わりますよね。どう見るかで変わるものがあるならば、素晴らしい作品が素晴らしい状態で世に出て行くことが、才能だけじゃない、彩りをもたらしていくことになるはずだと、そのように定義しました。

障害へのスポットライトが強すぎる

平熱:なるほど。僕としては、この言葉はきれいだと思うし、キャッチコピーとしてすごくいいなと思います。一方で、これが目立たなくなるのがいいんだろうなとも思うんです。異なる彩りが、当たり前のように世の中に受け入れられていく。違いがあって当たり前だよねというムードになるといいなと。その変化のために、今「異彩を、放て。」というメッセージがある、ということが大事なんだと思います。

松田:そうですね。やっぱり今は「障害」となったとたんに当たるスポットライトが強すぎますよね。自分の周りに障害のある子どもや大人がいない人たちにとっては、遠いというか。テレビなどで取り上げられると、ライトがバーン!っと。

平熱:誤解を恐れずに言えば、すぐ「感動パッケージ」にされてしまうというか……。そこに違和感があります。僕は特別支援学校にいるので、出勤すれば障害のある子どもたちが何百人といる。ぶっちゃけ、ひとりひとりにスポットライトなんて当てていられないわけですよ。

松田:確かにそうですよね。

平熱:彼らはそれぞれに「異彩」を持っているのですが、僕らは決してそこにスポットライトを当てすぎないようにしています。ただ当たり前に、こういう子もいるし、ああいう子もいるなと。もしかしたらそんなことすら考えていないかもしれない。そんな感覚でいます。

我が子の異彩を見つけるには?

海野:次のテーマは「我が子の異彩を見つけるには?」です。平熱先生、普段子どもたちと接している中で、この難しい課題とどう向き合われていますか?

平熱:はい。支援学校には、その役割として「困りごとを解決する」「できなくて困っていることをできるようにする」「できた方がいいことをできるようにする」という、技術やスキル、知恵を身につけるという側面があります。ここが根幹ではあるのですが、そこにフォーカスしすぎると、意味がないように見えることを排除しがちになってしまうんですよ。

松田:そんなことができても、じゃあどうなるの? となりますよね。

平熱:はい。でも、その部分に「異彩」が隠れていたりする。サポートする側としては、そのバランスを大事にしてあげたいと思いながら、子どもたちと接しています。

松田:とはいえ、支援する側としては、やってほしいことを無視してずっとボールペンで丸を描かれるわけにもいかず……そういうジレンマもありませんか?

平熱:もちろん、「全部好きにしていいよ」ということにはなりません。だからもう、本当にバランスなんですよね。例えば、「これをある程度頑張ったら、黒い丸を描こうね」とか。日々、落とし所を意識しながら声をかけています。

「異彩を見つけるには?」ということですが、何か社会的な意義があるとか、稼げることをするといった結果を短いスパンで求めようとせずに、目に見えないことでも、その子が楽しんでいたり喜んでいたり、落ち着いていたりする活動の中にある「異彩」に気づけるといいのだと思います。

松田:そうですね。

平熱:だけど、それを見つけるにはサポートする側の余裕が必要で。時間もなくて協力してほしいときに、ずっと丸を描かれてしまってあっぷあっぷしてしまう気持ちもわかります。そういう意味では、大人側が精神的、時間的な余裕を持てる体制を整えられるといいのかなと思います。

海野:私も現在6歳になる娘がいるので、余裕を持つことの難しさを実感しています。余裕を持つために、私たちはどんな工夫ができるでしょうか?

平熱:すごく難しいですよね。正直、僕は仕事だから待てるという側面もあります。僕らの「待つ」と親御さんのそれはやっぱり意味が違う。なので、僕は安易に「待ってくださいね。この子のできることを奪わないでくださいね」と言いにくいんです。それを前提として、僕は、待つことが楽しくなるように意識を転換する遊びをするようにしています。例えば、靴を履くのに時間がかかっているときに、この子はきっとあと40秒で履くだろうな、なんて自分の中でゲーム性を持たせてみる。とにかく、待つことを自分の中でコンテンツ化してみるんです。あと5回だけ声をかけてみよう、その5回の内容をいろいろ変えて、どの反応が良さそうか見てみよう、とか。ただ待つのではなく、どうせ待つなら楽しく待つようにしています。

松田:いい知恵ですね。うちの兄貴は、最近、ここは自動車の耐久チェックの工場かと思うくらい、車のドアの開閉を何度も繰り返すんです。バンバンバンバンって。母も僕ら兄弟もその光景が普通だから待てるけれど、他の人が見たらちょっと怖いと思ってしまうかもしれない。だから、安心して待てるように、「知らない」を無くしていく活動もできるといいんだろうなと思います。

子どもが「ユーチューバーになりたい」と言ったら大人はどうする?

海野:子どもの興味や関心を伸ばしてあげたいと思うのですが、何が得意かとか、どんな習い事をさせたらいいか、迷ってしまうことがあって。子どもの興味や感性を見逃さないためにはどんなことができるでしょうか?

平熱:「やりたい」を深掘りしてあげるといいと思います。著書にも書いたんですが、ある男の子が「僕、ユーチューバーになりたい」と言うので、どうしてかと聞くと「ユーチューブを見るのが好きだから」と返ってきたんです。だけど、あれってその裏でやることがいっぱいあるじゃないですか。企画をして、撮影して、編集してっていう作業が。でもそこまで子どもの視点では見えないから、簡単にユーチューバーになりたいと言ってしまう。

だから、大人が分解してあげる。「ユーチューブを見る仕事とかもあるかもよ」とかってずらしてあげてもいいし。深掘りしたり、ずらしたりしながら、解像度を上げていって、本当に好きなこと、得意なことを探すアシストをしてあげられるといいのかなと思います。

松田:ヘラルボニーのような事業をしていると、「誰しも光るものがあるはず」というのが呪いのようになっていないかという悩みもあります。僕らは作家さんと契約する際、美術館のキュレーターがチェックをして、アート性が担保された状態で、実力通りに評価されるというフェアな土壌作りをしていますが、全員契約できるという仕組みではないので、競争的な側面を持ち込んでしまっている部分はあるなと感じているんです。

「我が子の作品をぜひ見てください」という切実な声も多く届きます。けれど、大人が「絶対に子どもを光らせたい」「この子には才能が絶対にある」という思いにとらわれすぎてしまうと、逆に子どもはプレッシャーに感じてしまうこともあると思うんです。うちの兄貴は、絵を描いて契約するとか、計算がものすごく速いとか、記憶力がすごいなど、何か突出した特技を持っているわけではない。だけど、楽しく生きているとか、豊かさを感じることができる。そういう感覚の共有みたいなことも僕らがしていくべきなんだろうなと思いますね。

《入場無料》62の異彩作品が集合 今週の日曜日(9/22)まで


ヘラルボニーが初めて設立した国際アートアワード「HERALBONY Art Prize 2024」。日本を含む世界28カ国から924名の作家が応募し、応募総数は1,973作品にのぼりました。平熱さんも実際にご覧になった「HERALBONY Art Prize 2024 Exhibition」では、審査員による厳正な審査を経て選出されたグランプリおよび各賞受賞作家と、最終審査進出作家58名による全62作品が一堂に展示されています。開催は、今週末の9月22日まで。ぜひ異彩作家のエネルギーを生で感じにいらしてください。

<展覧会概要>
展覧会タイトル:「HERALBONY Art Prize 2024 Exhibition」
会期:2024年8月10日(土)〜 9月22日(日)
時間:10:00~18:00
料金:入場無料 
会場:三井住友銀行東館 1F アース・ガーデン(東京都千代田区丸の内1-3-2)

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【登壇者プロフィール】


平熱
おもに知的障害をもつ子が通う特別支援学校で10年以上働く現役の先生。やさしくてちょっと笑える特別支援教育のつぶやきが人気を集め、Twitterのフォロワー数は9.5万人(2024年8月現在)。小学部、中学部、高等部のすべての学部を担任し、幅広い年齢やニーズの子どもたち、保護者と関わる。「視覚支援」「課題の分解」「スモールステップ」「見えないところを考える」など、発達障害やグレーゾーンの子どもたちだけではなく、全人類に有効な特別支援教育にぞっこん。障害の種類や程度にとらわれず「この子はどんな子?」を大切にし、子どもを恐怖でコントロールする「こわい指導」はしない。「先生も子どももしんどくならない環境」で子ども、そして関わる大人たちのニーズを満たす働き方を模索中。著書に「むずかしい毎日に、むつかしい話をしよう。」「発達が気になる子の育て方」など。SNS:X(旧twitter)/ Instagram