人類がまだ解明できていない「センスの根源」があるかもしれない【水野学✕松田崇弥・文登】

ふだん何気なく使っているいろんな「言葉」ーーその言葉の裏側にあるものについて素朴に、とことん哲学していく連載「HERALBONYと言葉哲学」。

これまで言葉に埋め込まれたさまざまな「先入観」と向き合い、アップデートしてきたHERALBONY。この連載では、松田両代表をはじめとするHERALBONYのメンバーが、ビジネス、アート、福祉、アカデミアなど多様な領域で活躍するオピニオンリーダーの皆様と、「言葉の哲学」を紡ぐことで、言葉の呪縛を解き放ち、80億の「異彩」がいきいきと活躍できる思考の輪を広げていきたいと思います。

第4回は、HERALBONYのリブランディングプロジェクトで新ロゴをデザインしてくださったgood design company代表でクリエイティブディレクターの水野学さん。水野さんは、熊本県公式キャラクター「くまモン」のデザインや、日本を代表する様々な企業のブランディングデザインを手掛けるトップクリエイター。そんな水野さんとHERALBONYの代表・松田崇弥と文登が「センス」という言葉について哲学していきます。

「センスは知識からはじまる」から考えること

松田崇弥(以下、崇弥):このたびは、HERALBONYに素敵なロゴを作っていただいて本当にありがとうございます。会社として新しいフェーズを迎え、世界に挑戦しようというタイミングで水野さんとご一緒できたことは、私たちにとってこの先大きな財産になっていくと思います。

水野学さん(以下、水野):僕こそ、HERALBONYのような「カッコいい」会社とご一緒できて嬉しいです。
水野さんがデザインしてくださったHERALBONYの新しいロゴタイプとシンボルマーク。水野:今回は「センス」という言葉がテーマですが、僕はかねてよりHERALBONYって「カッコいいな」と感じていました。これまでも障害のある方が参画するビジネスやイベントは存在していましたが、その中でもHERALBONYさんは抜群に「センス」がいいと思うんです。


障害のある方のためになっているのはもちろんのこと、一般の方からも「それいいね」「欲しいな」と自然に思われるようなコミュニケーションの手法をとっていらっしゃいます。

世の中には、HERALBONYさんと似たような業態で、もしかしたらそれ以上の規模のビジネスをやられている会社があるかもしれない。でも、ビジョンやそれを伝えるコミュニケーションの手法などの点で、僕の考え方とも相性がいいのかな、と。今回こうしてリブランディングのお仕事でご一緒させていただいたのにも、そういう面があったと思います。

崇弥:そんなふうに感じていてくださったんですね。嬉しいです。

水野:今日のテーマは「センス」なので、そもそも「センス」とは何か?という問題について最初に話しておきましょうか。僕は『センスは知識からはじまる』(朝日新聞出版)という本を書いていますが、一方で、実際には、知識よりもっと根源的な部分に関しても、人には違いがあって、それがセンスというものに関係していると考えています。

よく、映像で物事を記憶したり理解したりするのが得意な人を「写真脳」とか「ビジュアル脳」と言いますよね。僕自身もそうだし、デザイナーのような仕事につく人はだいたいこのタイプだと思います。この「ビジュアル脳」にはレベルがいろいろあって。単純化してレベル1から5まであるとしたら、デザイナーの中にも、レベル5の人もいれば、レベル3や4の人もいる。もしかしたらレベル1の人もいるかもしれない。そして、そういう先天的な要素を補完していくのが「知識」だと僕は考えているんです。僕が「センスは知識からはじまる」と言っているのは、要はそういうことですね。

文登:僕らも水野さんのご著書を愛読しています。

水野:ありがとうございます。一方で、HERALBONYの契約アーティストの皆さんが、先天的なビジュアル脳と後天的な知識をどのようなバランスで兼ね備えている人たちなのかといえば、僕もよくわかりません。先天的なビジュアル脳だけで、ああいう素晴らしい作品を生み出せるのか? でも、きっと先天的なビジュアル脳に加えて、何らかの「知識」があって創作が行われているんじゃないかなと考えています。

「超能力が発揮されているんじゃないか」と感じる特別なセンス

崇弥:HERALBONYの契約作家さんには、知的障害に自閉症を併発している方が多くいます。ブランドのシンボルともなっている佐々木早苗さんの作品「(無題)(丸)」は、ボールペンでひたすら丸を塗りつぶしていくというものですが、これは典型的な例です。

作家・佐々木 早苗(Sanae Sasaki)/ るんびにい美術館に在籍。


>> 佐々木 早苗の制作風景動画を見る

崇弥:自閉症の特徴に「常同行動」というものがあります。これは常に同じ行動を繰り返すことによって心に落ち着きや安心がもたらされるというもの。佐々木さんの作品はまさにその常同行動の結果、生み出された作品だと思います。

僕の兄も自閉症で、知能でいえば3歳くらいと診断されています。その時々で、意味のわからない言葉を繰り返してみたり、不思議な言葉あそびを編み出してみたり、いわゆる「知識」とは違うかもしれませんが、何か彼独特のパターンがあります。他の作家さんも、2歳や3歳の知能のまま身体は緻密化していき、30歳、40歳、50歳と年齢を重ねるにつれて、その能力が研ぎ澄まされ、驚くほどストレートで力強い表現を生み出します。知能と身体能力のそのアンバランスさが、彼らの表現の秘密ではないかという仮説を僕は持っています。

水野:今の科学では、その秘密がまだ解き明かされていないのだと思います。実は、彼らの中には膨大な知識があって、それがアートとして表出しているのかもしれない。例えば、昆虫図鑑を見ていたら「複眼」というものが出てきた。それを見て、どうしても複眼を描きたくなってずっと複眼を描いているのかもしれない。

文登:十分にあり得ますね。

水野:そう考えていくと、実は「先天的なもの」の影響はかなり大きいのではないかな、と。彼らの作品は、先天的な能力ーーもはやそれは「超能力」と呼んでもいいようなものが発揮されているんじゃないかとさえ思うくらい、ものすごくパワフルです。ここで大事なのは、「発揮されている」ではなくて、「発揮されているんじゃないか」という部分です。解明されたものではなく、あくまで可能性。そこに面白さがある。

本当に彼らの作品はまっすぐで強いですよね。その強さは「知識」から弾き出されているだけではなくて、「衝動」みたいなものからも生み出されていると感じます。だとすると、僕がこれまで説いてきた「センスは知識からはじまる」という考え方と、真っ向から衝突しちゃうわけですが(笑)。でも、彼らの作品を見ていると、そんなふうに考えちゃう時がありますね。

「センス」とは、新しい刺激を受け入れる力

崇弥:障害のある方のアートは、本質的で根源的なところ、例えば原始時代に還っていくような感覚に近いんじゃないかなとも考えています。

水野さんのご著書に「美術の授業がセンスのハードルを高くしている」という話が出てきます。模写するのが上手なら通信簿で5をつけてもらえたりする。でも、HERALBONYの作家さんたちは、きっと模写の授業では「1」と評価されてしまうでしょう。本能から湧き出る、評価の数字に落とし込めない事象を生み出すということ。その行為自体が「センス」という枠組みを拡張することになるのかなと思います。

HERALBONY自体が、これまでになかった新しい思想を社会に届けていくという取り組みです。ありのままの才能が解放されることで、「センス」の幅を広げていけたらいいな、と。

水野:ああ、なるほど。「センスは知識からはじまる」という時に僕が意図している「知識」って、いわゆる「勉強」だけではなくて、インプット全般のことを指しています。それは、受け取った刺激を受け入れる力、と言い換えることもできるかもしれません。つまり「豊かな感受性」。「センス」というものが「豊かな感受性」から始まるのだとしたら、HERALBONYの作家さんたちも、まだ僕らが解明できていないレベルで刺激を取り込み、それを独自の表現に繋げているのかもしれない。

文登:絵の構図や、そのなかにある図形の配列みたいなものにも絶妙なバランスがあるんです。実はそこに何らかの秘密、例えばすごい法則性があるのかもしれない。僕らが解明できていないだけで、彼らには明確に見えている何かから生み出されているのかもしれない。

水野:それは十分にあり得ますね。あるクライアントとのお仕事の中で、「フィボナッチ数列(※)」について勉強したことがありました。ライチやパイナップルの実の表面のぶつぶつ、ひまわりの種の並び方、台風の渦巻きなどはすべて「フィボナッチ数列」によって表現できるそうです。

※「フィボナッチ数列」とは、イタリアの数学者フィボナッチに因んで名付けられた数列。植物の葉の配置や貝殻の形状など、自然界の多くのパターンがこの数列に関連している。

水野:そういうふうに考えていくと、もしかしたら自然界にある法則に基づいて、彼らの頭脳や経験といったフィルターを通り抜けて表現が生まれている可能性もあります。やっぱりそういうものって完璧に美しいので、可能性はゼロではないと思います。

崇弥:確かに。HERALBONYの作家さんの作品の中で、構図がフィボナッチ数列に当てはまるものを調べてみたら、意外にあるかもしれない。

水野:フィボナッチ数列以外にも自然界にはいろんな法則性があるので、一つ一つ調べてみたら思ってもみない面白い結果が出るかもしれません。そんなふうにきっと我々に見えていない部分がたくさんあるんです。だから「現に知っていることだけ」で考えること自体に限界がありますね。

HERALBONYは、作品や幸福を探求する研究所かもしれない

水野:HERALBONYって、研究所だと思うんです。研究する場所であり、研究した結果を発表する場所でもある。そして、その活動資金としてビジネスを行っているようなイメージです。障害のある方が生きやすくなるような研究を行うのはもちろんのこと、なぜそのような作品が生まれるのかという研究も今後ありうるでしょう。なぜ明るい作品と暗い作品が生まれるのか、なぜこういう構図なのか、そういうところにも将来、法則性が見つかるかもしれません。

中には解明しない方がいいこともあるかもしれないけれど(笑)、きっと作家さんたちの幸せに貢献する発見がたくさん出てくると思います。

文登:そういう研究は面白いですね!ぜひやってみたいです。

水野:ビジネスには2パターンあると思っていて。一つは「公器」としてのビジネス。パナソニック・ホールディングスの創業者・松下幸之助さんも「会社は公器である」という言葉を残しています。松下さんには「水道哲学」という考え方があります。例えば、暗いから電気を作りましょう、そしてそれを安価に社会の隅々にまで届けて生活を豊かにしましょう。そして作り方はオープンにして誰もが作れるようにしましょう。という考え方ですね。それをどこにいても蛇口を撚れば安価で安心な水にアクセスできることに例えて、「水道哲学」と呼ばれています。

この「公器」としてのビジネスは、現にHERALBONYも実践していることだと思います。

もう一つは「研究」としてのビジネス。松下幸之助さんも、パナソニックという会社でまさに研究を積み重ねていました。障害のある方がどうしてこういう作品を生み出すのかという研究だけでなく、彼らが芸術活動以上に得意なことがあるかもしれないという研究もありうるでしょう。「公器」としてのビジネスと、「研究」としてのビジネスーーこの両輪が回るととてもいいじゃないかと。

崇弥:それはまさに今、僕も考えていたことです。僕たちとしては営利活動をしっかりして作家さんに還元していくことを第一目標に掲げてきましたが、今、水野さんがおっしゃった研究機能のようなものも、会社のもう一つの軸としてあった方がより障害のある方の幸福に貢献できるかもしれないと考え始めていたんです。今日はとてもいいヒントをいただきました。

後編では、パリと岩手・花巻でそれぞれに松田両代表が思い描いた「未来」も交え、引き続き水野学さんと「センス」について哲学していきます。

>> 後編に続く :「障害者○○」と言われなくなった時、人類はきっと前進する【水野学✕松田崇弥・文登】