障害のある人がいなくなった世界には、生きづらさが蔓延するーーるんびにい美術館・板垣崇志さんインタビュー【後編】

HERALBONYはじまりの地である「るんびにい美術館」。福祉業界を牽引してきた同館のアートディレクター・板垣崇志さんが、これまで代表の松田崇弥、文登と積み重ねてきた対話の数々は、その後のHERALBONYの事業展開にとって大切な倫理的な道標(みちしるべ)となっています。

前編では、「命」という言葉を捉え直すことで、私たちが知的障害のある作家のアートに魅かれる本当の理由を探りました。後編では、この世界に知的障害のある人たちが存在することの意味、そして障害が克服された社会が失うものについて考えを巡らせます。

>>前編はこちら:この世界には「重い命」と「軽い命」があるーーそれは命に対する勘違いです。板垣崇志さんインタビュー【前編】

自分の見方が安っぽいことに気づかせてくれる作品たち

ーー初めて福祉施設に通う利用者さんたちの作品を見た時には、どのような印象を持ちましたか。

板垣:なんて複雑で美しいんだろう! と思いました。想像していた範囲をとてつもなく超えたものがそこにありました。後で知ったのですが、小学校すら通っていない方が描いた作品もあり、自分は美術の専門教育を受けてきたこともあって、独創だけでこの作品を創り出していることが衝撃でした。

人間性という意味でも、創造力という意味でも、知的障害のある人たちは、自分の持っていたイメージと全く違っていました。

ーーある意味、これまでの自分の価値観が大きく覆される経験になった、と。

板垣:当時、知的な障害のある方たちと日々過ごしていく中で、それまでの自分の中にあった偏見や思い込みを強く自覚しました。それ以前、私自身が子どもの頃から知的な障害のある人たちのことをまったく知らずに、理解の及ばない怖い存在だと思ったり、怖れと一緒に侮蔑するような感情を抱いていたのです。その考えはいったいどうやって形作られたものだったのだろうかと、日々自問自答しました。自分がそうしていたように、命が蔑まれたり虐げられたり、逆にもてはやされたりもするものなんだと気づき、命へのこういう不当な上げ下ろしを是正していかなければという意思が自分の中で徐々に形成されていったんだと思います。

だからこそ、その人が作ろうとしているものをできる限り十全に実現させることが何より重要だと思うようになりました。その人がやろうとしていることは、周りの人が良いと思うものと違うかもしれませんが、そうした他者による値踏みとは切り離し、まずその人自身が何者であるかが表現されなくては、その人がこの世界に存在する意味がない。その人の命が開花させようとしているものを開花させることが、何よりも重要だと気がついたのです。

ーー彼らがやりたいことを十全に実現するために、板垣さんがやったことは何でしょうか?

板垣:作品に介入することなく、まず、ひたすら観察することです。描く姿や表情、動作、描いている内容を見つめ、その人の内側で動いている心の求めを感じ取ります。そして最終的に、その求めが実現されるために必要な環境調整をします。環境調整の中心は、道具に関することです。
たとえばその人が細かな形を描こうとしているのであれば、「いったいどのくらいの細さがこの人の描きたいものに必要な線幅なんだろう」と考え、段階的により細いペンを用意していき、その人がもっとも生き生きと気持ちよく描けるペンを探っていきます。その際、ペン先の硬さのような感触にも人それぞれ好みがあるので、含めて考慮します。

同じように、たくさんの色を使おうとしているのであればその人が必要としている色数がどのくらいなのか、数十なのか数百なのかを探ったり、より小さく描きたい、あるいは大きく描きたいという指向が見えるなら、どれくらいの画面の大きさが最適なのか、といったことを探っていきます。

最適な環境が整うと、自然にその人の表現が発露するようになります。目指すのは、その人が一番描きたいもの、一番作りたいものを作ること。それが実現することによって、その人が深く充実すること。そのためにその人を見つめ、道具立てを考えていくという方法でずっとサポートしてきました。だから、制作中の作品に対して、良し悪しのようなことや、自分の好みから生じるような評価を言葉にすることは避けてきました。

それでも「わぁ、すげえ」と思わず口にすることは多々あります。同じ時間と場を共にする者として、その人の表現に自分が喜びを感じたこと、自分があなたの表現で幸せになっているということは、やはり伝えたい。

でも、表現すること自体がその人の喜びだったものが、他者の言葉が動機づけに置き換わっていくということは起こり得ます。周囲の評価が表現を間接的に誘導していくようになり、表現それ自体に幸せがあるのではなく、他者の評価から幸せを得ることが新たな目的になり、表現はそのための「道具」になっていくかもしれない。

これも一つの社会性の獲得である、と見ることもできるでしょう。一方で、その人の人生にとって重大な損失になる可能性もあります。自分の言葉が与えるかもしれない影響について、注意深く監視したいと常に思っています。

制作支援にたずさわるようになった初めの頃、制作の様子を見ていて、「さっきまで綺麗だったのに、どうしてこんなふうにしちゃうんだろう……」と内心思うこともありました。もしその人自身がそれで困惑しているのなら、本来の求める方向へ軌道修正を一緒に探ります。でも本人が迷うことなくそうしているのであれば、僕個人の内側に起こったネガティブ評価を絶対に伝えませんし、感じさせないようにしていました。

そうすると、最終的にその作品が私には到底想像できなかった凄い世界にたどり着くのです。そういう場面に出くわす度に、自分の安っぽい見方や自分の価値観を押し付けるようなことをしなくて本当によかったと思いました。ルンビニー苑でも、その後にオープンした「るんびにい美術館」のアトリエでも、制作をサポートする私の関わり方は同じです。

障害のある人がいなくなった世界が失うもの

ーー板垣さんは、「知的障害のある人たち」とはこの世界においてどんな存在だと考えていますか。

板垣:「自分の命がはじまる時の、一番最初の状態を憶えている人」だと考えています。

どういうことかと言うと、私たちは生まれてすぐの時から、助産師さんに取り上げられ、母親に抱かれて、助産師さんにとっての「赤ちゃん」、お母さんにとっての「我が子」という関係性が始まります。成長するに従って、先生にとっての「生徒」、友達にとっての「○○ちゃん」というふうに、常に「誰かにとっての自分」であり続けます。そうすると、相対的な自分しか感じる機会がなくなる。やがて私たちはほぼ無意識的、自動的に「誰かにとっての自分」として常に生きるようになります。

それでも時折、何かに没頭したり、我を忘れて夢中になったりする経験を誰しも持っていて、その状態は私たちに大きなエネルギーを与えますね。この時私たちは、何者かにとっての誰かである私ではなく、私である私、つまりこの世界に私というものがまず存在しているんだという感覚を取り戻している状態にあります。

この感覚は、命のはじまりの時、胎内で誕生前まで私たちが持っていた感覚です。誰からの意味付けにも評価にももとづかない、ただ自分そのものの自分。はじまりの自分です。

知的障害のある人の中には、その感覚をずっと持って生きている人が多くいると感じます。そのため、他者からの評価を気にすることなく、ただただ自分の内側から湧き上がる「私はこんな色が見たい」「こんな形を生みたい」という求めのままに自分の手から生み出していくことができるのです。私たちはその創造プロセスに触れることで、自分もその感覚を取り戻したいと願っている。知的障害のある方々の作品は、私たちにとって命に帰るための道標(みちしるべ)のような存在なのです。

ーー私たちが心のどこかで求めているけれど、取り戻すことがとても困難な大事な感覚をずっと持ち続けているのが知的障害のある方々なのですね。

板垣:突飛な話に聞こえるかもしれませんが、医学の進歩によって、遠くない将来、先天的な知的障害のある人が生まれてこない社会になる可能性があります。長い年月にわたって数知れない方々が苦悩し、時に倒れ、時にその先の光を見出したりもした、波乱の歴史が終わる時です。この波乱からの解放は同時に、先述の大きな道標の一つを私たちが失うことも意味しています。小林覚さんや八重樫季良さんから教えてもらったことを教えてくれる人がいない世界が訪れるかもしれないのです。

命のはじまりや命の存在理由について深く考える機会を失った社会には、閉塞感や生きづらさが蔓延するのではないかと私は予感しています。

障害や病気にはそれ自体に身体的、精神的な苦痛を伴うものが多くあります。その苦しみから解放されることは、誰にとっても揺るぎない望みです。一方で知的な障害はそれ自体が苦痛になるのではなく、その資質に対する周囲の否定的な処遇によって初めて苦痛が生じます。その苦しみは障害自体が生むのではなく、周囲や社会の認知から生まれる、言わば社会的苦痛なのです。

障害自体を消し去る前に、私たちの社会がまずしなければいけないことがあるように思います。互いにきちんと出会い、その心を知ることです。そこに必ず命の言い分があり、心の中に痛みや悲しみ、大切なもの、願い、喜びがある。生きるということの実体があることを知る。

それは障害に対する理解というより、命というものに対するリテラシーです。私たち全員の存在に言い分があるということへの理解、認知を社会に養うということです。

技術的に障害をなくすことが可能になるまでに、人間がより成熟した生命観や人間観にもとづいて、どのような道を進みたいかを考えられる状態になっているよう、今から準備する必要があります。そのために、るんびにい美術館の事業をはじめ様々な機会やチャンネルを通じ、知的な障害のある人たちの人間像を深く伝えることで、障害のある人々が存在する意味をより深く理解し、言語化し、共通認識として持つための材料を提供しておきたいと考えています。

障害のある人々の存在は、私たちの社会にとってとてつもなく重要な教師やマスター(指導者)だと私は考えています。覚さんたちがこの社会で私たちの隣にいるうちに、人類が障害を任意に消去・修正することが可能になる前に、障害のある人の存在の意味を今より成熟したレベルで実感する人々が社会に十分に増えていることが必要なのです。

もしかしたら知的な障害とは、障害自体を消すのではなく、社会の認識が変化することで消えるものなのかもしれません。「障害」と認識する必要がなくなるということです。

代表松田から感じた少年のような無防備さと生命感

ーー板垣さんと松田崇弥・文登との出会いは2016年に遡りますが、24歳の崇弥さんが初めてここに来た時のことを憶えていらっしゃいますか?


板垣:今、私たちがいるこのカフェでお会いした時のことをよく憶えています。正直に言うと、その時点で企画書の内容やネクタイのデザインに特に惹かれるものがあったというわけではありません。それでもとても面白い打ち合わせだったんです。

過去にも、るんびにいに在籍する方々の作品を商品に使わせてほしいという企画の持ち込みはいくつかあったのですが、それまでのものとは何かが違ったんです。それは、彼らの若さと情熱であり、もうひとつは彼らが福祉分野の人間ではなくそれぞれにビジネスで仕事をしながら、しかも本業と別の自分たちのプロジェクトとして始めようとしていたこともあるかもしれません。

崇弥さんは内側にものすごい情熱を抱きながら、まるで野原で珍しい花を見つけて駆け込んできた少年のような無防備さと躍動する生命感を感じさせました。それでいて、とても丁寧な物腰で謙虚。当時も今もまったく変わらないですね。

企画の内容ではなく、それをやろうとしている若者たちの気配と圧倒的なエネルギーがなんとも面白く、わくわくするような感じがありました。とてもじゃないが、この強く光るようなエネルギーを無視できるようなことじゃない、そんな感覚でした。

作者NGなら企画は白紙。ビジネスリスクを受け入れた決断

ーー商品化をする前に必ず作家さんご本人に同意を得るというルールは、板垣さんとHERALBONYが最初に交わした約束です。

板垣:2018年でしょうか、文登さんがHERALBONYの設立を報告しに来てくれた時、障害のある作者のアートを商品化するプロセスの中に、作者本人の同意が不可欠となる手続きを組み込んでほしいと改めてお伝えしました。

一般的にライセンスビジネスでアート作品を使う場合、契約の中に「著作者人格権不行使」という条項が含まれます。著作者人格権を行使されると、トリミングなどの加工に作者の同意が必要になり、ビジネスを行う側にとっては足枷になるためです。

しかし、知的障害のある作者がこの契約の内容を完全に理解するのは難しく、理解し不満があったとしても次は表明することの困難も立ちはだかります。理解と表明に困難がある状態で著作者人格権の不行使を約束させられたら、実質的に彼らの権利は社会的に完全に封殺されてしまうことになります。

そんな形でライセンス契約を結ぶことは、作者や家族、私たちの気持ちとしても望ましくないし、HERALBONYがこれからやろうとしているビジネスにとっても、大きな自己矛盾を抱えることになる。HERALBONYが掲げる理念が陳腐なものになってしまい、障害者の搾取だと批判されかねません。

それを回避するためには、著作者人格権を本人に残した上で行使できるようにすることーーつまり、作者が「嫌だ」と言ったら企画が白紙になるというリスクを組み込んだものにする必要があると考えました。さらに、このことを公式にアナウンスすることにより、後に続く企業にも同様の対応を促すことができます。
ーーこのプロセスを大事にする精神は、6年たった今も会社の大きな指針であり、会社の文化となっています。

板垣:とはいえ、ビジネスの観点では非常に困難な選択だったと思います。作者から合意を取り付けるコミュニケーションのために事業のスピードが落ち、もしかしたらつかみかけた仕事を逃すことになるかもしれないわけですから。しかし、この手続きの重要性を理解し共感してくれるパートナー企業と繋がることでこそ、初めて大きな社会変革を起こす力になると考え、文登さんにはそう伝えました。

文登さんには「それが正しいのは分かりますが、現実的に難しい」と答える選択肢もあったと思います。でも、彼は「正しいですよね。わかりました。やります」と言ってくれたんです。これがやはり、私の中で揺るぎないHERALBONYへの信頼の礎になりました。

そこから何年かは文登さんがその都度、ここに足を運び、パソコンを開いてイメージを見せながら作者に繰り返し説明しに来ていました。当時より案件の数が桁違いに増えた今は、各案件の担当社員の方がるんびにいの職員に詳細を共有し、その内容をるんびにい職員が一つ一つ作者に説明し、ご本人が本当にOKと思っているかの確認をした上で進めています。

宗教や福祉では達成できなかったこと

ーー6周年の記念講演では「HERALBONYのアクションが人類の歴史の節目になる」と期待の言葉を頂きました。


板垣:「差別をしてはいけない」という倫理的な考えは、これまで宗教や道徳、あるいは福祉が唱えてきたことです。しかし、これらは利他心(自分のことよりも他人の幸福を願うこと)を前提にしています。利己心を抑制し、利他の心を高めるという方向性です。しかし、この方法には限界があり、一定数の人は共感し受け入れたとしても、なお多くの人からは「知ったことではない」と突っぱねられてしまうことを乗り越えられません。

その点でHERALBONYが画期的なのは、利己心を全く否定していないという部分にあります。「あなたが着たい服がある。あなたが部屋に飾りたい絵がある。それを手に入れてください。あなたを幸せにしてください」という、自分の幸福へのニーズを満たすアプローチを取っています。

同時に、HERALBONYの世界観やストーリーが強力に発信されていて、必ずそれがプロダクトとセットで手渡されるように設計されています。これにより、消費者は自分自身のためにプロダクトを購入しながら、同時に、その購買行動が紐づく社会的な意義を感じ、自分の行動が社会変革につながっているという認識を持つことができます。自分の幸福への求めを満たし、そのアイテムをまとうことが、他者へのステートメントとなり、社会を変革する駆動力として稼働します。これは、宗教や福祉では達成できなかった利己と利他をトレードオフにすることなく多くの人が社会変革に参画できる新しい方法論です。人類が長年求めながらも実現できなかったことにアプローチしているのです。

さらに、このビジネスモデルは資本主義自体を変革する可能性も秘めています。ソーシャルグッドの実現とビジネスの収益性を両立できることを示すことで、新たなビジネスの誕生を触発し、最終的には資本主義のあり方自体を変える可能性があります。HERALBONYは、資本主義の中で戦いながら、さらに資本主義をアップデートしていくパイオニアです。

HERALBONYは資本主義を変革する存在であると同時に、有史以来、人類が宗教や倫理、道徳を以てしてなし遂げなかった新たな社会を実現する。私はそう確信しています。

企画展「異彩のはじまり」開催中

現在HERALBONY GALLERYでは、るんびにい美術館に在籍する作家9名による企画展「異彩のはじまり」を開催中です。

これまでさまざまなプロダクトや案件で起用された貴重な作品の数々を実際にご覧いただけます。ぜひ足をお運びください。

HERALBONY GALLERY 企画展
「異彩のはじまり」

会期:10/12(土)〜12/28(日)
住所:岩手県盛岡市開運橋通2-38 @HOMEDELUXビル4F
開廊日:木金土祝
時間:木金 12:00〜18:00
   土祝 10:00〜12:00 / 13:00〜17:00
詳細はこちら

板垣さんからのお知らせ

現在るんびにい美術館では、生命を光にするアーティスト集団 ARuと協働し、生命の鼓動を光に変換する体験シアター「あなたのいのちが光なら。」を世界に広げるためのクラウドファンディングを実施中です。板垣さんのこれまでの活動の集大成とも言えるこの取り組みについての詳細はこちらのページをご覧ください。
Profile

板垣 崇志

いたがき・たかし

1971年花巻市出身。社会福祉法人光林会「るんびにい美術館」アートディレクター。高校卒業後、上京し大学で神経心理学を学んだ後、岩手県内の大学で美術を専攻。自身の創作活動をしながらアルバイトで生計を立てていた1997年、光林会の三井信義さんの誘いで、光林会が運営する「ルンビニー苑」に参画。農作業や創作活動のサポートをするように。2007年の「るんびにい美術館」開館にあたって中心的な役割を果たし、開館以来これまでに60以上の展覧会を企画してきた。対人支援に携わる人たち向けの技能研修、福祉施設でのアート活動のコンサルティングのほか、言語や芸術表現による認知の変化を利用して社会課題にアプローチする自身の団体「しゃかいのくすり研究所」も運営している。